守口市役所はかつての三洋電機本社跡である。『守口文化財ガイドマップ』(令和3年10月)には、段蔵が載っている。段蔵を研究する者にはありがたい。その地図を持って、守口宿を歩いた。
旧国道1号線には、かつて守口市民会館があった。岡晴夫や田端義夫もステージに立った。
新しい文化施設や消防署が建つと言われる。
京街道は整備されて、観光の目玉として売り出したいのであろう。しかし、守口市全体を見渡すと、文化的にも歴史的にも優れた地域に光が当たっていないような気がしている。人口も20万人しかなく面積も狭い地域だが、観光(通過するだけの観光でなく)を追求する余地が残っている。
推理小説作家の江戸川乱歩の住居跡が文禄堤の近くにある。乱歩は生涯で46回も引っ越ししたと言われる。守口市外島694番地(守口市八島町)に大正11(1922)年から大正15年にかけて住んでいたと言われる。ここで『二銭銅貨』『屋根裏の散歩者』などを書き上げた。
立て札はあるが、プレートがすぐに見つからない。
マンションの塀の奥に見えている。
そこから難宗寺(守口御坊)に向かう途中に、豪農白井家の邸宅があった。大塩平八郎の書院の記念碑と説明板がある。
参考文献:Wikipedia(江戸川乱歩)、『大阪人物辞典』(三善貞治編)