元旦は初日の出を見られなかった。床を離れたのが午前10時。しまったと思うが、後悔先に立たず。初詣を連れ合いとするのが毎年の恒例になっている。
氏神の桜宮に行くことに。都島区中野町1丁目にある桜宮になぜ参るのか。それは結婚式をそこで挙げたからである。そして、桜宮の末社の新喜多神社がかつて城東区新喜多町四丁目(今の城東区新喜多東1丁目)にあった。祭りの頃は桜宮のポスターが貼られた。今は桜宮との縁は切れている。毎年、桜宮に参る習慣は続いている。
↑太閤園の名が見える
↑初詣客で賑わう
↑境内
↑和歌の字が見にくいです
↑淀川洪水記念碑
↑参道(鳥居が焼けこげた跡が見える)
桜宮から国道1号線を南に越えると、網島町になる。狭間ハウスが見えてくる。大阪市登録文化財に指定された。戦前に建てられたもの。間取りはそれぞれ違っていると聞く。また、防火設備が整っているらしい。内部を見学できる機会を待ちたい。
↑旧太閤園の北側
↑狭間(はざま)ハウス
↑同上
↑同上
狭間ハウスの向かいに太閤園があった。藤田観光が経営した、庭園と結婚式場で有名であった施設だ。藤田観光が経営危機に陥って、太閤園を創価学会に売却したいわくつきの物件だ。創価学会の講堂ができると聞いている。その向かいには立派な藤田美術館が建っている。どうなっているかが気になっていた。
↑旧大長寺(『心中天網島』の舞台)の門が移設されている
↑藤田邸跡公園の塀
↑創価学会関西池田記念大講堂が建つのか
↑文化財調査の表示
↑塀の中が見えない
↑藤田美術館
↑同上
↑太閤園(結婚式場)
↑太閤園を遠望する
旧太閤園の北側には、貴志康一(大正・昭和に活躍した作曲家)家の本邸があった。旧大阪市職員会館時代に見たことがある。茶室が大阪市登録文化財に指定されている。文化財なので破壊されないはずだ(大阪市教育委員会文化財保護課に確認済み)。ここで結婚式を挙げた記憶を持つ方には複雑な思いがおありだろう。
京阪本線旧片町駅(大阪市電と京阪電車とが平面交差していた)を見つつ、京街道を辿る。大阪環状線京橋駅の手前で古堤街道に入る。居酒屋「とよ」の北側に有名な蒲生墓地がある。大坂七墓の一つの蒲生墓地だ。無縁墓の整理が進んで、ここも将来には南浜墓地のようになるのではと考えている。
この墓地で有名な墓石がある。「人には辛抱が一番」と諭すものだ。
↑有名な墓石
古堤街道と旧榎並川とが交わるところに「蒲生橋(かまう)」の橋柱が埋もれている。近くには大阪市水道局東野田抽水所(昭和初年建築)がある。
↑蒲生橋の橋柱
古堤街道をしばらく行くと右側にビルが見えてくる。ここにはある思い出がある。かつて今を賑わす旧統一教会の道場があった。男女が出入りしていた。京橋駅で署名活動などをしていた。1975年に建築されたらしい。彼らは今、どんな人生を送っているのだろうか。
↑外観は変わらない
↑定礎
ひょんなことから桜宮から脈絡もなく、2023年のまち歩きが始まった。今年も放浪のまち歩きをいたします。お付き合いのほどを隅から隅までずずずい〜と乞い願いあげ奉ります。