城東区は昭和18年に旭区から分区した。昨年、分区80年を迎えた。大阪府東成郡に属していた城東区には、戦災を受けなかった地域に長屋が広がる。旭区、都島区、東成区、生野区にも長屋がある。「大阪長屋」という用語もある。
「大阪長屋」とは。『第9回オープンナガヤ大阪2019』(2020年、大阪市立大学長屋保全研究会・ナガヤガヤガヤ実行委員会)から抜粋する。
江戸時代、大坂は「天下の台所」と言われた。貸家である表長屋は商売を行う場所であり、住居であった。近代になると長屋の外観や構造が中二階が本二階に発達したものや二階の表側に座敷を配して大きなガラス窓を用いたものもあった。表の道路から長屋建物を後退させ、前面に門と高塀を構えて前庭を確保したものや高塀の代わりに生垣を配した開放的ななものも現れた。
戦後、戦災を免れた木造長屋は地震や火災の問題から除去対象とみなされ、大阪の特徴であった長屋は減少した。大阪の伝統的な生活文化や住民同士の親密なコミュニティを残している。
鴫野東1丁目の長屋と露路に吸い込まれるように入る。
↑鴫野東1丁目の露路(ろうじ)
↑同上
↑同上
↑同上
↑アパートの玄関
↑抜けられるかな
↑鴫野霊園に通じる道
↑今里筋が見える。交差点を渡ると、鴫野の大道になる
城見通を南に渡ると、また長屋が現れる。戦後にできた長屋もあるが、戦前からの長屋も残っている。
↑平屋で中二階のある長屋
↑長屋がつづく
↑城見通の南側
↑内部をリニューアルした長屋
城東区天王田の長屋を紹介しよう。11月4日の午前に歩いた。旧楠根川の南に位置する。
↑廃屋になっている(天王田の西から東に歩く)
↑同上
↑100年前(想定)の長屋
↑同上
↑同上
↑裏長屋
↑同上
↑同上
↑内部の様子がわかる
↑長屋(奥の長屋の屋根にはブルーシート)
↑平屋の長屋(反対側の長屋は二階を建てましたか)
↑同上
↑同上
城東区でも放出西1丁目に残る長屋をご紹介する。平屋で中二階の長屋である。
↑放出西1丁目の長屋
↑同上
福島区(旧西成郡)野田の長屋を見ていただこう。中央卸売市場の近辺に広がる。地下鉄千日前線玉川駅から野田3丁目から野田1丁目に南下する。
↑二階建ての長屋
↑同上
↑同上
↑野田1丁目の長屋
東成区中本1丁目のあるお宅を写した写真をご紹介する。今はどうなっているのかは不明である。
↑中本1丁目の長屋
↑同上
旧東成郡の東成区、生野区、城東区には戦災を受けなかった地域には長屋が残っている。福島区の長屋にも大阪の伝統的な生活文化や住民同士の親密なコミュニティが残っていると思う。城東区❤️は大阪市❤️につながっている。蔵から長屋に私の興味は移っている。