抽象画家で実業家の吉原治良は、1905(明治三十八)年一月一日生、1972(昭和四十七)年二月十日に没した。
大阪市東区大川町(現:中央区淀屋橋南詰付近)の油問屋の御曹司として生まれる。北野中学校(現在の府立北野高校)在学中に油絵をはじめる。関西学院高等商業を卒業する。御堂筋の拡幅で1928(昭和三)年に北区中之島三丁目(旧:北区宗是町)に移る。
↑中之島から堂島大橋を見る(橋梁に被爆の跡がかつては残っていた)
↑堂島大橋の説明板
↑堂島大橋の竣工日
↑堂島大橋南詰から福島区を見る(なくなった大阪メリヤス会館が写っている)
↑グタイ・ピナコテカの説明板は北区中之島三丁目の三井ガーデンホテルプレミアムの1階にある
↑グタイ・ピナコテカの説明板
↑ホテルから東方を見る
↑三井ガーデンホテルプレミアムの1階
↑ホテルの庭の道標
↑同上
↑昼下がりに寛ぐサラリーマンたち(右側のビルは関西電力本店)
【写真掲載については三井ガーデンホテルプレミアムの許可を得ております】
【参考文献】大阪市北区役所のHPを閲覧した(2022.10.9)