加古川市の別府の近くに「大歳家住宅」があると聞いたのは、加古川駅にある加古川市民ギャラリーだった。去年の11月、菅原章夫さんの個展で教えていただいた。許可を得て、画業を披露する。
↑遠くに加古川大橋
↑松風こみち、旧別府鉄道車両
↑別府港(遠くにあかがね御殿)
↑高御位山夕景
↑尾上神社 尾上の松
↑永田耕衣記念碑 泉福寺
↑加古川バイパス高架下
↑大歳家長屋門
↑大歳家蔵外観
↑大歳家住宅 登録有形文化財
↑大歳家住宅・主屋
↑別府町 神戸製鋼所が見える
↑東加古川 ドンキホーテ辺り
↑ベルデモール
↑喫茶 ひととき
↑加古川市役所
↑加古川俯瞰
↑菅原章夫 ぶらりスケッチ展(加古川駅1階の市民ギャラリーで開催された)
加古川愛がいやがうえにも増してくる。なぜ加古川なのか。母方の祖父が姫路から加古川に出てきたらしいのだ。ルーツの一つなのだ。
「大歳家住宅」に行こうと覚悟を決めた。
阪神梅田駅が出発地。姫路行直通特急に乗車して、山陽電車東二見駅で普通に乗り換えた。1時間20分の旅だ。別府駅は初めて降り立つ駅だ。南側はスーパーマーケットや銀行、ファーストフードの店がある。
↑明石海峡大橋
↑同上
↑同上
↑山陽電車別府駅
↑別府駅のホーム
↑別府駅周辺の地図
↑別府駅の時刻表。駅員不在
↑すぐ隣を山陽新幹線が走る
↑別府駅前の地図
↑別府川を渡る
別府川に架かる橋を渡ると、新野辺(しのべ)の集落に入る。新野辺住吉神社の森が見える。江戸時代、大洪水で生い茂る雑草の中にマムシが住みつき、困った村人は新しい丘に播磨町阿閇神社から住吉明神の御霊を迎え五穀豊穣を願ったといわれる。その後、マムシもいなくなり、田畑の作物もよく実るようになったという。当初はたいへん大きな神社だったらしい。
↑玉垣
↑奉納 住吉神社
↑玉垣
↑玉垣
↑玉垣
↑寄付者の名簿
↑大正8年6月建立と書いてある
↑玉垣
↑灯籠
↑狛犬
↑狛犬
↑新野辺住吉神社 修復記念碑
↑寄附者御芳名
大歳家は、代々新野辺村の庄屋だった。天保9年から明治4年(1838〜1871)の間、高砂の小松原、荒井から北在家、別府・新野辺までの12か村と2新田に及ぶ広範囲の大庄屋をつとめた。苗字帯刀を許された。1000点に及ぶ「大歳家文書」を有する。また住宅は登録有形文化財に指定されている。新野辺まちづくり協議会の大歳正明氏が管理されている。
↑大歳家住宅
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑花が彩りを添えている
↑同上
↑同上
近くの別府公民館に立ち寄る。たいへんお世話になり、収穫も多かった。多木化学本社が別府駅に行く途中にあると案内された。もちろん、立ち寄ったのは言うまでもない。
↑大歳家住宅を遠望する
↑別府公民館の標識
↑別府川
多木化学は、明治18(1885)年に日本で初めて人造肥料を開発した。創業者多木久米次郎の生家は地主で、「別府の干鰯屋」といわれイワシで作った肥料を販売していた。原料の獣骨を粉末にするため、足踏み式石臼を創業の記念碑として本社の玄関脇に建てている。
↑アリオ加古川のフードコート
↑同上、多木化学のイメージか?
↑同上
↑多木化学本社
↑創業者多木久米次郎の生家跡から見た本社
↑多木化学本社の塀
↑本社の庭
↑石臼の碑
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑布袋像の説明
↑布袋像
↑
↑灯籠
↑布袋像(どこを見ているのだろう)
↑多木化学本社
↑兵庫 肥料商
↑多木化学の社章
↑アリオ加古川も多木化学の工場跡地。地主は多木化学
↑この衣料店の土地も多木化学の所有
↑山陽電車別府駅
↑別府公民館の「地域学講座」のチラシ
【参考文献】
『ぶらり別府町散策マップ』(別府公民館発行)