上六に野暮用があった。コロナ感染が広がるので、会議が延期になった。さて、どこへ行くか。
上町筋を南に。上本町七丁目の光照山正祐寺の塀に沿って歩く。四天王寺と同じ時代に創建されたらしい。場所は転々としたらしい。摂津八十八ヶ所霊場の一つだ。それよりも塀に筋が横に五本引いてある。本数が寺の格に関係しているのではと思ったからだ。格式が高い寺院なのではと推認した。お教えを請いたい。
正祐寺の塀
上本町七丁目からバスに乗る。天王寺西門前のバス停で下車。統国寺に向かう。ラブホテル街を突き抜けて、統国寺の境内に入る。ベルリンの壁を見る。寺務所で「鬼城繁太郎氏永世不忘碑」にお参りに来たと用向きを伝える。メタスキャン(アプリ)で碑の3D画像を撮影する。
境内には、江戸の天文学者の間長涯(はざま・ちょうがい)の墓がある。「長涯間先生之墓」とある。61歳で亡くなる。長堀橋富田屋橋北詰の質屋の主人。
次いで「旭荘広瀬先生墓」に参る。儒者で豊後日田の人。漢詩人として著名。佐久間象山とも交流があった。
隣に「藍田居士之墓」がある。幕末期のしじん、町人学者。1816年生〜1865年没。50歳。
阿波の人で南本町で呉服商を営む。広瀬旭荘と西国を遊歴、勤王の志士と交流。後、新撰組に捕らえられ、獄死した。墓は明治五年藍田の遺志で旭荘の隣に建てられた。
「清涼岩崎氏之墓」は藍田の妻
【参考文献】『大阪墓碑人物事典』(近松譽文)