高津宮(高津神社)に50年ぶりにお参りした。神域は変わっていないが、谷町九丁目駅から迷ってしまった。仁徳天皇を祀る由緒のある神社だ。上町筋から坂を降りたところにある。周りが寺町だ。大正十年にできた「大阪市歌」に「高津宮の昔より代代栄えを重ねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市」と歌われている。
↑谷町九丁目界隈の地図
↑真山隼人の浪曲研究会(主催者の許可を得て撮影)
↑梅ケ辻橋(谷町九丁目交差点)
↑高津宮
↑段差がわかる
↑高津宮の参道
↑梅乃橋(昔は梅の名所)
↑梅乃橋の説明板
↑梅乃橋
↑神輿庫(唯一、大阪大空襲で焼けなかった)
↑五代目桂文枝の碑
↑五代目桂文枝碑の説明板
↑五代目桂文枝の碑裏面
↑木谷蓬吟・千種乃碑
↑木谷蓬吟・千種乃碑の説明板
↑比売古曽神社の説明板
↑比売古曽神社
↑西坂(旧縁切り坂)
↑相合坂
↑相合坂
↑高津宮の北東が鬼門に当たりパワースポットとも言われる
↑自然石がゴロゴロしている
↑陰陽石
↑崖の下にある神社
↑崖になっている
↑階段が急
↑陰陽石
高津宮のパワースポットを見学していると、フランス人女性が現れた。まるでフランス人形のように美形の女性である。身振り手振りと英語・フランス語で説明をした。どこまで理解してくれたかはなはだ疑問である。天王寺の語学学校で日本語を学んでいる、友人とルームシェアをしているとも語った。
↑参道
↑恒冨塚(大坂の日本画家の北野恒富)
↑恒富塚の説明板
↑明治・大正時代の高津神社(神社の許可を得て撮影)
梶井基次郎は昭和初期の作家で、明治三十四年生、昭和七年三月二十四日没。三十二歳で亡くなった。大阪市生まれ。東京帝国大学中退。大正十四年、中谷孝雄、外村繁らと同人誌「青空」を創刊。『檸檬』などを発表。肺結核のため療養する。「梶井基次郎墓」は、常国寺(日蓮宗)にある。大阪市中央区中寺ニ丁目にある。
↑梶井基次郎墓所への道
↑梶井家の墓(当初は家の墓に眠る)
↑戦後に建てられ、分骨された梶井基次郎墓
↑同上
↑卒塔婆から遺族の存在がわかる
↑檸檬(造花)やレモンチュウハイが供えられている
↑同上