19日午前8時50分に新大阪駅の千成ひょうたん前に集合した。早起きが苦手なヒガチャン。コンコースに溢れるインバウンド客や通勤客の人混みに飲み込まれそうになった。
のぞみ318号(09:21発)の車上の人となった。東京駅(11:51着)まで車窓の景色が楽しみである。車内で弁当を広げる。
↑富士山
予定通りに東京駅に着く。日比谷公園野外音楽堂が会場だ。東京駅で山手線で一駅戻り、有楽町駅で下車する。西口に駅員のいる改札口がなく、東口に向かう。切符が有人の改札口を通ることになっているからだ。
↑東京駅
↑有楽町駅のガード下
↑日比谷公園(奥に帝国ホテル東京が見える)
↑同上
↑石貨
↑説明板
↑日比谷公園の大噴水(映画『エレキの若大将』でロケ地になった)
集会が始まり、「ニュースペーパー」が出演。岸田首相、菅前首相、志位委員長に扮して、笑いの渦に会場を巻き込む。各党の国会議員があいさつをする。14時40分から銀座パレード。東京新聞本社、日比谷文化情報館、東京電力本店を過ぎて、銀座通りを北上する。
↑国会議員(日比谷公園野外音楽堂)
↑銀座パレード
↑同上(不二家の広告が見える)
↑東映会館(丸の内東映)
↑フォーシーズンズ・ホテル・丸の内
今の帝国ホテルの建物は3代目である。帝国ホテル東京は1890(明治23)年11月3日に開業した。2代目が、アメリカの建築家フランク・ロイドの設計である。新本館(1970年)の設計者は、高橋貞太郎。帝国ホテル東京は2030年度まで営業を継続する予定。そして、2031年度から建て替える予定になっている。
帝国ホテル東京の歴史を見ると、戦前、戦中、戦後の歴史と重なる。
1920(大正9)年 ライトの設計による別館新築工事スタート。
1923(大正12)年 9月1日、新館落成披露準備中に関東大震災が発生。
1932(昭和7)年 2月、国際連盟調査団長リットン卿夫妻来泊。
5月14日、喜劇俳優チャールズ・チャップリン来泊。
5月15日、五・一五事件
1936(昭和11)年 1月26日、声楽家シャリアピン、二度目の来泊。
2月27日、二・二六事件で鎮圧部隊の一拠点となり、カレーライスなどの 炊き出しをする。
5月18日、フランスの詩人ジャン・コクトーが来泊。
1937(昭和12)年 ヘレン・ケラー来泊。
1945(昭和20)年 9月8日、GHQマッカーサー一行、帝国ホテルで昼食会を開催。
9月17日、連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収される。
1970(昭和45)年 帝国ホテル新本館(設計:高橋貞太郎)が竣工。隣の日生劇場(村野藤吾設計) をオマージュをして、石の色調と材質を工夫して街並みの調和を図った。
↑「120年の森 1000本伐採か」「都立日比谷公園改造 誰のため?」2023年10月30日付けの「しんぶん赤旗」に載った
【参考文献】
帝国ホテル東京のHP(imperialhotel.co.jp)を閲覧(2023.10.22)