北区老松町の大阪現代画廊で開かれている「木版画セッション3」を鑑賞した。井川泰雄、斎藤義弘、中谷省三の三作家の作品が陳列されている。井川さんは高校の先輩で、初任校で一年間同僚として勤務した。郷土の風景を木版画で表現されている。展覧会は10月21日まで開かれている。
↑三人展のハガキ
老松通を西に向かって歩く。かつてあった骨董品を扱う店が減っている。時の流れを感じる。老松町の名前の由来が気になり出した。『角川日本地名大辞典 大阪府』に当たる。『摂陽群談』には、「(当町民家にある老松は)住吉太神影向の松にて往昔樹下に祠ありてよつて住吉町と号す」と。元は住吉町だった。
↑老松通の道標
↑同上(歩道に銀杏が落ちている)
↑同上
老松通を抜けると、アメリカ合衆国総領事館が見えてくる。前に機動隊の車両が停まっている。そして、機動隊員が建物の周りを警護している。
建物にスマホを向けようとすると、機動隊員が近づいてくる。「撮影をしないでください」と撮影をやさしく静止する。私も平静に「なんで?」と訊く。「法律に書いてあるから?」に「お願いです」と機動隊員。撮影できそうにないなと判断したので、メモ帳に筆記した。
総領事館の玄関左横に銘板がある。撮影できないので、手帳に書いたことを再現する。
銘板には上部に英文で設計者と施工者が書かれている。下部には日本語で同様のことが書かれている。
設計 大倉建築設計事務所
施工 戸田建設株式会社
開館 1987年2月16日
玄関を北東に曲がった場所に灯籠がある。ライオンズクラブの寄贈とある。首を伸ばすと、「中に入れませんよ」と機動隊員が行動を静止する。
その機動隊員に「庵治石の灯籠を撮影していい?」と訊く。自己判断できないので、何メートルか先の同僚に判断を求めた。その隊員が「撮せませんよ」と答える。先の隊員が頷く。わかったと私も首を縦に振る。
先の機動隊員に「庵治石って知ってる?」
「いいえ」
「香川県の石の産地だよ」
「へーえ、詳しいですね」
「そら〜、亀の甲より年の功やで」
「勉強になりました」
「ついでに教えてあげる。日本共産党本部も戸田建設が建てたんだよ」
「そうなんですか!」
「寒くなるから、身体に気をつけてね」と、ヒガチャンは飄然と梅田に向かって歩き出した。
【参考文献】
『角川日本地名大辞典 大阪府』(角川書店、昭和58年10月)