『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』(澤田隆治著)を読んでいる。「てなもんや三度笠」などのヒット作をテレビで生み出したメディアプロデューサー。ルーキー新一といえば、「イヤーンイヤーン」のギャグで一世を風靡したコメディアンだ。乳首を両手で摘んで、体を左右に振る動作が印象に残っている。
彼は突然に消えた。
「ルーキー新一 病死」の見出しで朝日新聞(1980年3月5日の夕刊)に載っている。「イヤン、イヤン」のコメディアンと紹介している。
【記事の本文を転載する】
四日午後八時半ごろ、大阪府守口市馬場町一丁目、高瀬マンションニ◯一号、元コメディアン、ルーキー新一さん(四四)=本名・直井新一(なおい・しんいち)=が、奥6畳の間で死んでいるのを帰宅した長女の友子さん(ニ◯)が見つけ、守口署へ届けた。
直井さんは昨年肝臓病で一カ月間ほど入院したことがあり、一週間前から体の調子が悪く、寝たきりの状態だった。四日午後四時ごろ友子さんが入院手続きをするため外出し、午後八時半ごろ帰宅したところ死んでいたといい、死亡推定の時間は午後六時ごろ、死因は全身衰弱と心不全。
直井さんは六年前にも日大病院で「重症のアルコール中毒なので、入院しなければ危ない」とすすめられたが断り、その後も酒をあびるように飲む毎日だったという。
直井さんは大阪市此花区生まれ。ソロバン塾の教師から変身して三十年代後半からルーキー新一の芸名で、コメディアンとして活躍、体をくねらせ「イヤン、イヤン」とか「知らない、知らない」を連発するギャグで人気を集めた。テレビ番組「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」のレギュラーとして知られた。四十年、吉本興業から独立して「ルーキー爆笑劇団」を結成したが、四十二年、自分の劇団の女優のことで恐かつ事件を起こしてから人気が落ちた。昨年九月には妻の寛子(四三)が詐欺事件を起こして愛知県警に逮捕されるなど、最近は不運続きだった。コメディアンのレッツゴー三匹のリーダー正児さんは実弟。
ルーキー新一の名前を聞いても、ご存知の方は少ないだろう。しかも不運な死で人生を終えたのをどれだけの人が知っているだろうか。最期の地を見ておこうと思った。
地下鉄太子橋今市駅から内環状線を歩く。京阪電車のガードをくぐる。旧帝国女子学園(現・大阪国際大滝井高校)が見えてくる。
↑京阪電車のガードが見える
↑内環状線を南に歩く
↑滝井駅方面を見る
↑大阪国際 滝井高校
↑個性的な家
左折すると、式内高瀬神社が見えてくる。由緒書きを見ると、古い歴史を刻んでいるように思われる。タバコ屋で「馬場町1丁目の高瀬マンション」の場所を尋ねる。ルーキー新一のことを聞いても、地域では知っている人が少ないようだ。
↑砲弾を使っている
↑陸軍造兵廠大阪工廠満期退職記念
↑奉納と刻んである
↑碑の表
↑碑の裏
↑式内高瀬神社
↑鬱蒼とした森
↑鳥居
↑本殿
↑玉垣(松下電器産業株式会社)
↑高瀬川碑
守口市高瀬は、淀川中流左岸に位置する。淀川と大和川の合流によって堆積土が高瀬の地形から由来している(守口市史1)。行基が橋を架けたといわれている。かつて淀川は高瀬町辺りまで南下していた。
馬場町にアパートがあったが、それだと明確に断定できない。
↑高瀬マンション
京阪電車土居駅に向かう。守口市役所(旧三洋電器本社)市民生活部生涯学習・スポーツ振興課で『守口文化財ガイドマップ』をいただいた。
↑土居駅
↑土居商店街
↑料理屋
↑守居神社の由緒
↑一枚の薄揚げが稲荷社の賽銭箱に
↑稲荷社
↑古民家
↑同上
↑守口市の地図
↑守口市役所
↑守口市役所の太陽光パネル
↑守口市役所内の噴水
国道1号線から見ただけでは守口市の素顔はわからない。また、京阪電車から見たのが守口市だと思ってはいけない。
「喜劇」とは、「こっけいみや風刺を交えて観客を笑わせながら、人生の種々相を描こうとする演劇」(『デジタル大辞泉』小学館)と説明している。日本では、喜劇を低く見る傾向がまだある。
コメディアンは自らを笑われて、生きていく存在だ。日夜、笑われるために努力を重ねる。笑われないと悲しくなる。実生活では人に笑われないようにする。矛盾した日常を送るのが日課になっている。
【参考文献】
『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』(澤田隆治著、つちや書店)