光善寺の門前を旧京街道が通っている。『蓮如上人と光善寺』(平成九年、光善寺発行)によれば、蓮如上人が北陸地方の吉崎御坊から河内国出口に草庵を建てて、三年間教化に努めた。文明七(1475)年の八月のことである。
山号が淵埋山(えんまいさん)という。二丁四方(14400坪)の大きな池があって、それを埋めて堂宇を建てたのが由来である。
上人が出口に来た時、九軒の家しかなかった。出口の地域に蓮如上人が腰掛けて仏法を説いた「蓮如上人腰掛け石」が残っている。「出口だんご」が名物になっているらしい。かつては檀家では「出口だんご」を作っていたという。
光善寺の敷地は約三千坪ある
蓮如上人の像
本堂は約三百八十年前の建設になる
段蔵は、出口二丁目、三丁目、五丁目にかけて残っている。京街道の両脇に残っている。しかし、モダンな建物がかつて段蔵があったと地元の方が証言する。高齢化の波が押し寄せている。相続で土地が売却され、宅地開発された区域もある。記憶の中に段蔵があっても、その記憶を伝承することができにくくなっている。