真田山陸軍墓地の花見

 4月1日に花見をするといえば、四月馬鹿かと思われるだろう。

 玉造の眼医者で診察を受けた後のことだ。左目に大腸がんの抗がん剤を注射するのだ。三万円を支払うのだ。年金暮らしには堪える。仕方がない、根本的な治癒方法はないのだから。来月に注射の予約をした。いつもは待合室が混雑しているのに、すんなりと会計を済ませることができた。昼食を済ませて、三光神社と真田山陸軍墓地に花見と洒落込んだ。

f:id:higachanntan:20220402203847j:image三光神社の鳥居

f:id:higachanntan:20220402182440j:image六文銭の幟がはためく
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f:id:higachanntan:20220402182419j:image真田幸村
f:id:higachanntan:20220402182400j:image真田の抜け穴。中には入れない
f:id:higachanntan:20220402182443j:imageここから陸軍墓地
f:id:higachanntan:20220402182408j:image亡くなっても、階級が付きまとう
f:id:higachanntan:20220402182427j:image花の下の兵士の墓
f:id:higachanntan:20220402182436j:image公園では子どもたちの声が響いていた
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f:id:higachanntan:20220402182411j:image陸軍兵士の整列のように見える

 

 真田山旧陸軍墓地日本陸軍が1871(明治4)年、日本で最初に設置した兵隊埋葬地である。西南戦争から太平洋戦争までの「戦死者」が埋葬されている。死者のうち最多は「病気」である。赤痢スペイン風邪(インフルエンザ)、コレラのように感染症で亡くなった者が多かった。小田康徳は、入営後における生活様式の激変、訓練への不適合や上級者・古参兵との関係に悩み、強いストレスに苦しむ兵卒等が多かったと述べている。(『旧真田山陸軍墓地、墓碑との対話』)

  花見もいいだろう。せっかく墓地に来たのだから、個々の兵士たちの墓標から聞こえる声を聴きとっていただきたい。