4月1日に花見をするといえば、四月馬鹿かと思われるだろう。
玉造の眼医者で診察を受けた後のことだ。左目に大腸がんの抗がん剤を注射するのだ。三万円を支払うのだ。年金暮らしには堪える。仕方がない、根本的な治癒方法はないのだから。来月に注射の予約をした。いつもは待合室が混雑しているのに、すんなりと会計を済ませることができた。昼食を済ませて、三光神社と真田山陸軍墓地に花見と洒落込んだ。
三光神社の鳥居
六文銭の幟がはためく
真田幸村像
真田の抜け穴。中には入れない
ここから陸軍墓地
亡くなっても、階級が付きまとう
花の下の兵士の墓
公園では子どもたちの声が響いていた
陸軍兵士の整列のように見える
真田山旧陸軍墓地は日本陸軍が1871(明治4)年、日本で最初に設置した兵隊埋葬地である。西南戦争から太平洋戦争までの「戦死者」が埋葬されている。死者のうち最多は「病気」である。赤痢やスペイン風邪(インフルエンザ)、コレラのように感染症で亡くなった者が多かった。小田康徳は、入営後における生活様式の激変、訓練への不適合や上級者・古参兵との関係に悩み、強いストレスに苦しむ兵卒等が多かったと述べている。(『旧真田山陸軍墓地、墓碑との対話』)
花見もいいだろう。せっかく墓地に来たのだから、個々の兵士たちの墓標から聞こえる声を聴きとっていただきたい。