榎並の歴史(その3)

「おりえ殺人事件」「六反池のおりえ殺し」「六反池バラバラ事件」と呼ばれる事件が、1920(大正9)年に起きた。亡父が野江の六反池でバラバラ事件があったことを記憶している。いつのことかを聞かなかったのが悔やまれた。1922(大正11)年生の父は城東区蒲生町で生育したから、幼い時に大人たちから聞かされたのであろう。

 

『噺の肴–らくご副食本』(小佐田定雄著、弘文出版刊、1996年)の「おりえの首ー鯉船」に大きく示唆された。

 大森久治著『榎並と野江の歴史』にある記述を引用している。なお、大森氏の著作は2種類ある。榎並小学校創立100周年記念誌委員会版と民間出版社版である。大きな違いは、委員会版には地図と古老の記憶が記載されている。だから、委員会版を推薦している。