体調が悪く、ベッドで積読していた『みんなの民俗学』(島村恭則、平凡社新書)を読む。第四章の喫茶店モーニング習慣の謎に惹かれ、大阪市生野区での思い出を語ろう。
↑平野川(大池橋)
↑大池橋バス停前の国旗掲揚塔
↑大池橋交差点周辺
↑今里筋(大池橋交差点)
昭和55(1980)年に大池橋近くにある中学校に転勤した。非行の「高原状態」にあった学校で、周辺では悪名は轟いていた。毎日、事件が起きて、その解決に追われていた。教師の中には登校拒否になるのもいた。私も御多分にもれず、地下鉄今里駅でバスを待っている間、職場に行かずに千日前の「スバル座」で映画を観たりした。
↑大池橋バス停前にあった「友富士」(トンカツ店)の跡
生野区はヘップ産業で神戸市長田区と並んで有名な土地。在日朝鮮・韓国人が集住している。朝食の準備ができないので、家族で喫茶店のモーニングを食べる。1980年から1987年まで居着いてしまった。初めは毎年転勤願を出していた。住めば都だ。
その頃は給食がなかった。弁当を持参するか、父母が校門まで届けるかであった。校門の外に木製の棚があった。そこに置く。マクドのハンバーガーや焼きそばもあった。中には先生と同道で市場まで焼きそばを買いに行く。ぷーんとソースの匂いが鼻を突く。教室で焼きそばの匂いが充満する時もあった。少しオーバーな表現であるが。
市場も今は活気がなくなっている。喫茶店(トリオと言ったか)は残っているか。
【参考文献】
『ふろやの本』(2023年9月刊、大阪府公衆浴場業生活衛生同業組合)によると、生野区には15施設が掲載されている(休業中の施設も含むと26になる)。西成区には20施設が載っている。城東区は12施設。