1969年の学生時代。京都をあちこち泊まり歩いた。友人の岩倉の学生寮、北白川の友人の貸間など。バリケードストライキで学内に入れず、パチンコや麻雀に明け暮れていた。そんな中で東山区二条のさとう野火さん宅で句会が催されていた。「獣園」と呼ぶ結社だった。学生たちの集まる梁山泊のようであった。さとう野火・城貴代美夫妻の家の住所は、左京区夷川通川端東入ル六筋目上ル秋築町251と記憶する。向かいには、京大教授の会田雄次さんが住んでいた。立派な邸宅だった。志津屋のパンを貴代美さんが買って、飢えた俳人の卵たちに食わせてくれた。ダンディな男性で、一時期サングラスをかけていた。タバコ、麻雀をしたりした。酒も好きだった。二度目の結婚で娘さんが生まれた。九州男児(大分県竹田市出身)の彼は子どもを欲しがった。
貴代美さんは、さとう野火さんの元妻だった。野火さんが再婚してからのことは知らない。野火さんは東区(現中央区)の谷町にあった服飾雑誌に勤める会社員だった。私が大学を卒業してから、野火さんが京都新聞出版センターに勤めたことは風の噂で知っていた。就職して私は俳句から足を洗った。荒れた中学生相手に教職に打ち込む日々を過ごしていた。
作句集団『獣園』創刊号のコピー(提供:俳人 大井恒行氏)
野火さんの著書をたまたま知った。野火さんの連絡先を追いかけた。野火さんはすでに亡くなっていた。貴代美さんや野火さんの再婚された方と連絡を取った。野火さんのお墓は、真如堂の塔頭法輪院だとわかった。東京の大井さんと貴代美さんがすでに墓参りをされたのを聞いていた。
京都市営バス錦林車庫
真如堂
大文字山を望む
最後の20メートル
境内の紅葉
同上
同上
同上
同上
さとう野火さんの墓
三重塔が見える
同上
さとう野火さんの墓
同上
愛宕山が遠くに見える
金戒光明寺の本堂
金戒光明寺
こんかい光明寺の山門
会津墓地参道
獣園の句会は蹴上の浄土宗西山派の安養寺で行われた。住職は村上四明師であった。酒を嗜み、若い者を気安く上げてくれた。坊さんらしくない坊さんであった。大文字山に登るコースの途中にある。京都市内であるが、静穏な地である。
のちに知ることになるが、小説家の村上春樹の伯父にあたるのが村上四明師である。『猫を捨てる』に父の自伝を村上春樹は書く。本の中で村上家で起きたことを知る。詳しくは『猫を捨てる』を参照されたい。