ついに「恋人」に逢える時がやってきた。
そんな甘い感情を抱いて、天王寺区の茶臼山の統国寺に向かった。朝だけにホテル街は眠ったように静かであった。普茶料理の阪口楼はコロナ禍で営業をしていないように見えた。インターフォン越しに訪問の趣旨を伝えた。軽い気持ちで私は調査に来たのだ。
茶臼山の河底池の見える舞台近くに「鬼城繁太郎永世不忘碑」はあった。見たはずであったのに、記憶の中に不忘碑はなかった。手を合わせて祈った。しばし経ってから、写真に収めた。
不忘碑の寸法や碑文については曺(松田) 奎通さんの研究に依る。
上の写真は金英達(キム・ヨンダル)氏の図を引用しました。
正面に「鬼城氏は思いやり深く、慈愛に満ち、温厚で誰からも讃えられ、その名は社会の礎として永久に不滅である」と称えている。
裏面には、「鬼城氏の人間性と経営者としての素質を讃え、自分達職工を肉親同様に扱ってくれた」ことに「自分達朝鮮人(原文は鮮人)は最善の労を尽くして碑を建て、後の世までも顕彰するものである」と書かれている。
右正面に「工場所在地と工場名(大阪市東成区新喜多町玉井硝子製造所内)」が書かれている。「鮮人一同」が寄進したとある。具体的には代表者氏名六名が書かれ、「他三十九名」となっている。「鮮人」という表現はいわゆる差別的表現である。
「永世不忘碑」を建てる計画を実現した人物は誰であろう。