ガラス工場にあった石碑①

 環状線京橋駅から東に歩くと、玉井ガラス製造所がかつてあった。その一角に「鬼城繁太郎氏永世不忘碑」があった。聖賢小在学時に京橋駅まで行事で列になって歩いた。視野の一部に石碑が見えた。その後もガラス工場の隅に石碑があった。ガラス工場が消え、マンションが建った。その碑が消えてしまった。昨年、そのマンションの周囲を見てまわる。石碑がない。どこへ行ったのか。

 

 新喜多2丁目の古老に石碑について尋ねる。古老も同じ記憶を持っていた。「鬼城◯◯◯顕彰碑」みたいな名であったなと記憶が一致した。戦前のガラス工場の社長が、出稼ぎにきていた朝鮮・韓国人を暖かく働かせたのを感謝した碑文が書いてあったと言う。そこまで聞いて、あじろ書林の足代健二郎氏に相談した。曺奎通氏がその石碑を雑誌に投稿したのを覚えていた。

 

 曺(松田)奎通氏の文章の題名が「永世不忘碑 やっと安住の地、統国寺へ」であった。

 統国寺の由緒書によれば、元暁宗和気山統国寺は釈迦三尊が本尊である。大阪市天王寺区茶臼山町にあり、天王寺公園に隣接する。舞台から茶臼山池(河底池)を望む光景は素晴らしい。原寸大のベルリン

の壁が移設されている。

 

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 墓地には広瀬旭荘、藤井藍田、間長涯、中村歌六などが祀られている。昭和44年に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入っている。