生野区・一条通りでの暴力事件

 生野区の某公立中学校での思い出の続きを語ろう。時はこれも1980年代である。今はこの公立中学校は落ち着いているし、生徒たちは勉学に励んでいることを付け加えておく。

 

 その中学校では「非行の高原状態」であった。非行の波がなく、事件が毎日続いていた。教職員は非行の後始末に追われていた。疲労困憊の状態であった。地下鉄今里駅から市バスに乗る時、気分が急に落ち込むのであった。特に近鉄線のガードを潜ると、生野区になる。今はなき歩道橋に横断幕があった。「少年非行の町 生野区」と書いてあった。

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 放課後にいろんな情報が入ってくる。そして、教員が対応するために出動する。「一条通りでリンチが起きている❗️」「朝鮮学校生と◯◯中学生がゲバ棒で殴り合っている」と一報が入ってくる。血に塗れた生徒の姿が浮かぶ。一条通りで日本人・朝鮮韓国人が入り乱れて、殴り合っていたのだ。止めに入った教員も巻き込まれそうになる。朝鮮学校の先生も来て、騒動がやっと収まる。生野署にも連絡が行っているだろう。「防犯コーナー」のお巡りさんのお世話になる事件が起きたのだ。これだけ大きな騒動になれば、学校同士の問題だけではなく日朝問題にもなる。善後策をどうするか。

 

 生野署は刑事事件で処理せずに、公立中学校と朝鮮学校とで解決してほしいと言ってきたらしい。学校に処理を任されたのだ。朝鮮学校はかつて生野区東部にあった。一条通りで地域に住む朝鮮学校生と公立学校生がトラブルになったのだ。トラブルの発端は忘れた。被害者は朝鮮学校生に多かった。加害者は公立学校生になった。

 

 謝罪会を設定することになった。朝鮮学校に出向いて、謝罪することになった。夕方に加害生徒を担任が引率した。自転車で相手校まで行った。一室に通される。黒板の上に「金日成」(金正日があったか不明)の肖像画が掲げられていた。初めて朝鮮学校に入った。ハングルが教室に書かれている。被害者側も担任に引率されて入室する。生徒は顔見知りである。目配せをしたりしている。生徒主事が司会をして、会を進行する。リンチの顛末を事実に基づき、確認していく。事実が食い違うと、お互いに生徒が情報交換する。どこがいけないかなどを指摘させて、今後こういう暴力事件を起こさないことを言わせる。そして、日本国民として、朝鮮民主主義人民共和国公民として、日朝友好のために仲良くしていこうで会が終了した。

 

 ただ一つ印象的な出来事があった。

 加害者には日本人も在日もいた。被害者は在日ばかり。日本語を使うのは加害者。被害者は日本語を話すが、核心に触れることはハングル語になるのだ。加害者が会の途中で言ったのだ。「ハングル語と日本語を使うのはやめてください。日本語しかわかりません」と在日の加害者。引率した担任の胸に複雑な思いがよぎった。民族教育の残滓がまだ残っていた頃のことである。