世の無常を墓石にみる

 天王寺区はいま、マンション建築ブームである。高額のタワーマンションの部屋が売り出しと同時に売れていくらしい。子育てしやすい、買い物も便利、防犯・防災がしっかりしている、有名校が揃っている。しかし、高収入がなければ生活が営めないだろう。私みたいな庶民には高嶺の花と諦めましょう。

 住むのは諦めた我輩だが、敬老パスを活用して上町台地めぐりを楽しんでいる。天王寺区の天鷲寺(天台宗)と鳳林寺(曹洞宗)に参った。

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 天鷲寺には、長谷川貞信(幕末期の画家)の合同墓がある。しっかり維持管理されていた。無縁墓の中に比較的真新しい墓碑があった。墓碑には北山李庵(江戸中期の医者)の功績が彫ってあった。住持に尋ねた。管理団体が金銭的に維持できなくなったということで無縁墓の仲間入りをしたのだ。

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 墓地で発見した墓碑があった。柴田勝家お市の方の供養墓である。卒塔婆山口県在住の

子孫の方の氏名が書かれていた。立派な墓碑だが、あちこち黒ずんでいる。ここも1945(昭和20)年3月13日の大阪大空襲の被害を受けたのであった。焼夷弾の業火に焼かれた墓石たちの悲鳴を聴く思いがした。

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 鳳林寺の墓地の西には谷町筋が走っている。

 江戸前期の伊丹出身の俳人、上島鬼貫の墓碑がある。

「秋風の吹きわたりけり人の顔」

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 松本重太郎(明治時代の大阪財界の重鎮)の大きな墓碑が、上島鬼貫の向かいにある。阪堺電鉄(今の南海電鉄)の社長などを務めた。現在も残る企業(東洋紡、朝日麦酒、JR西日本)の設立にも関係した。「東の渋沢、西の松本」と言われた財界人である。1945(昭和20)年3月の大阪大空襲でこの墓地も大被害を受けたのだろうか。
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 人の一生は無常と言われる。人の評価は棺桶の蓋が閉まって、初めて決まるともいう。有名人の墓碑に参る行為にどんな意味があるのか。墓碑の中に入っても、人は亡くなっても世の無常から逃れることができないのを確認するためではないかと秘かに信じている。

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【参考文献】『大阪墓碑人物事典』(近松譽文)、Wikipedia(松本重太郎)