ある中学校の伝統(ソツリン)

 生野区のある中学校では、1980年代まで卒業式前に「ソツリン」が伝統として行われていた。「ソツリン」とは卒リン(チ)の短縮形である。卒業式の準備が始まると、卒業生や在校生(2年生)に張り詰めた雰囲気が漂ってくる。

 

 今は校舎配置が大きく変わっているので、想像するのが難しい。東側にあった校舎に在校生が横一列に並んでいる。しかも気をつけをしている。それに気づいた教職員が南にあった職員室から出る。ここで卒リンを止めに入ろうと運動場を対角線に横切る。卒業生が教職員より速く、在校生に襲いかかるのだ。運動場の真ん中で卒業生と教職員が入り乱れる。暴力を振るうのは卒業生。暴力を受けるのは教職員だ。そして、卒業生は在校生の列に向かっていく。一方的な暴力が行われる。止めに入ろうとして、教職員はまたも殴られる。この暴力が伝統として卒業式前に公然化するのだ。

 

 30歳でこの中学校に転勤した。転勤調書に「外国人多住地域の中学校への転勤を希望します」と書いたのだ。大阪市教育委員会の人事担当は調書をどう読んだであろうか。補充が利きにくい職場へ転勤したいと希望する人物はありがたい存在であっただろう。

 

 転勤して、はじめての入学式で驚いた。特大の日の丸が壇上正面に掲示されている。来賓が壇上に上がると、ペコリと頭を下げる。転勤したての先生が「ここの先生は日本人ですか」とトンチンカンな質問をしたりした。その先生を笑ったが、そんな反応をするのもまんざらではなかった。在日の生徒が8割を占めると言われていたのだから。

 喫煙をする生徒を注意したら、「一遍殺したろか」と言われるのは日常茶飯事であった。それで尻込みしていたら、この仕事は務まらない。

 「殺人以外はなんでもあり」の学校であった。今はそんな記憶はどこのことかと笑われるだろう。しかし、40年前は事実であった。放火もあって、体育館が深夜に燃え上がった。

 

 同和教育、外国人教育、大規模校と課題の多い学校を経験した。○○教育と名付けて、文部科学省教育委員会は現場に押し付けてくる。どんどん多忙化に拍車がかかり、今の学校現場の先生たちはどう過ごしているのだろう。