N外科医院の思い出

 古堤街道が城東区内を走っている。大阪環状線京橋駅の近くで京街道につながる。

 

 城東区のN外科医院の壁に「リボンの騎士」の色紙が飾ってあった。院長(故人)にその訳を尋ねる。手塚治虫が同級生だからと答えてくれた。漫画家の手塚治虫は、大阪府立北野中学(現北野高校)を卒業して、1945(昭和20)年7月に大阪大学付属医学専門部(医専)に入学する。

 

 医専は、日中戦争の戦局拡大で生まれた医者不足を解消するために、旧7帝大などに設立された医師の養成機関である。医専は、敗戦とともに役割を終える。実践的な医療技術を持った卒業生は戦後、開業医になる。

 

 N医師も大阪大学付属医学専門部で手塚治虫と同級であったのだろう。「組織学の顕微鏡実習で手塚さんの絵をまねて描き、合格をもらった」り、「実習中に相談したり、スケッチを見せてもら」う交流があったのか。「講義の出席代返をよく頼まれる」関係を結んだのかもしれない。

 

 手塚は、その記念に描いてくれたそうである。サインも入っている。「ホンモノですか?」と問うた。院長は「貸金庫に実物は保管している」と答えた。その院長もすでに鬼籍に入っている。

 

 もう一度、もう一度、「リボンの騎士」に会いたいものだ。

 

【参考文献】

『神様に会いたい』( 大阪日日新聞2023.04.06)

手塚治虫記念館https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/