ガード下の弾痕

 大きなまちがいを犯すところであった。妙寿寺北のガードだけに弾痕が残っていると思い込んでいた。H口さんから指摘を受けた。さすが地元に住む方のアンテナの感度はちがう。大阪市の東部に住むヒガチャンは6月12日、現地に赴いた。

 大阪市バス北港バスターミナル行き(59番)に大阪駅前から乗った。「鷺洲」停留所で降りて、北(右)へ向いてしばらく歩いた。乾酒店を過ぎると、北西(左)にペガサスミシン製造の屋上の看板が見えてきた。友人のM氏によると、工業用ミシンではヤマトミシンがかつてトップだったが、現在ではペガサスミシン製造(旧美馬ミシン商会)がトップメーカーになっているそうだ。田野氏によれば、労働組合運動が盛んな頃(昭和37〜40年)に赤旗が何本も翻っていたそうだ。現在のペガサス労組は独立系の企業別労働組合で、労使協調路線を歩んでいるらしい。(ペガサス株式会社のHPを参照)

f:id:higachanntan:20260613121606j:image↑ペガサス・ミシン本社

 阪神高速空港線の向こうに東海道本線のガードが見える。ガードの向こうは北区(旧大淀区)だ。

 

★『大阪の戦争遺跡ガイドブック』(戦争体験を記録する会・編、1987年、清風堂書店刊)によると、「1945(昭和20)年6月7日の空襲による弾痕が、ガード下のコンクリート壁面に無数に残っている。大きいものは直径15cm、深さが5cmほどもある。

 グラマン機の機銃掃射をうけ、8人ぐらいその場に倒れたというが、正確なことはわからない。」
f:id:higachanntan:20260613121627j:image↑福島区鷺洲五丁目のガード
f:id:higachanntan:20260613121622j:image↑ランドマークのペガサス・ミシンの看板が見える
f:id:higachanntan:20260613121613j:image↑ガード下に弾痕が残る
f:id:higachanntan:20260613121617j:image↑同上
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★H口さんからは、植木(石原)佳子氏の研究を基に詳細を教授された。昭和20(1945)年6月7日午前11時から12時にかけて国鉄東海道本線のガード下(福島区鷺洲五丁目7番地)にP51アメリカ軍艦載機(ムスタング)が機銃掃射を行った。3人〜5人が死亡した。それは目撃されている。

 

 いずれがガード下の弾痕の真実を伝えているか。比較検討していただきたい。