大阪市道九条梅田線とJR東海道本線(通称は神戸線)が交わるガード側壁に機銃掃射の跡が残っている。福島区民には妙寿寺の西北と書けば、分かっていただけるか。妙寿寺から金蘭会高校に行くのに東海道本線のガードをくぐる。福島区側の側壁には弾痕かと思われる跡が残っている。
↑東海道本線側壁の弾痕
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
田野登氏のブログ「晴耕雨読」の2017年12月3日の記事を見てみたい。「戦時中の浦江界隈(1)」に福島区歴史研究会員の内藤眞治氏の証言が収められている。
「戦時中(略)、中学生だったので、地元にとどまり、町内会の行事に加わりました。アメリカの飛行機B-29型が大阪市内は焼け野原になっていた。福島区は大型機B29の爆撃はなく、(略)艦載機による爆撃により、学校からの帰りに爆撃に遭い、草むらに隠れて助かったこともあった。
終戦2日前、自宅にいた時、艦載機の音がしたので、表に出ると、急降下して、私に目がけて攻撃してきたので、慌てて家に入った。その後、どこを攻撃したか調べに行った。爆撃の場所は、国鉄(現在のJR)の高架に列車が停まっていて、艦載機が列車目がけて爆撃したため、列車はそのまま停まったのだった。現在も高架に弾丸の跡が残っている。」
この弾痕(鷺洲)については、内藤眞治氏の証言しかない。