大阪市立中央図書館で調べ物をして、弁天町経由八幡屋三丁目行きのバスに乗ろうと、地下鉄千日前線西長堀駅で駅員さんに訊く。地下鉄の通路を通って、長堀鶴見緑地線西長堀駅で出たいと聞いた。出口に駅員がいるかいないかわからない。駅員が履歴の取り消しをしないとダメなので、上の歩道を歩いた方がいいと勧めてくれた。
旧こども文化センター跡、西区民センター、UR賃貸の西長堀アパートを通過して、地下鉄西長堀駅バス停に着く。平日でも1時間に一本しか来ない。アチャー。前は本数があったが、減便してきたと待っていた乗客が言った。大都市の大阪市なのに。費用対効果でバスの運行ダイヤを決めているのか?
↑西区役所
↑長堀通
↑地下鉄西長堀バス停
↑長堀通
↑バス停の時刻表
↑バス路線図(2025年10月1日現在)
時刻表通りに来たバスに乗り、車上の人になる。国津橋で下車する。安治川沿いに「河村瑞賢紀功碑」があった。
↑バスから見た阿波銀行(本田通)
↑河村瑞賢紀功碑の説明板(町会が建てたもの)
↑河村瑞賢紀功碑
↑同上(碑文の大意)
↑河村瑞賢紀功碑
↑古川跡
↑同上
紀功碑から南側を見ると、町並みが古く、長屋がちらっと見えた。ヒガチャンの心が動いた。自然に足が動いた。猪飼野探訪会の小野さんに電話をする。本田地域は空襲を受けていない。大阪市立本田小学校も空襲被害を受けていないと。
地域のお寺の住職に聞いた。本田二丁目から東は空襲で全滅したと父から聞いたと仰った。
大阪大空襲については、『新修大阪市史 第七巻-太平洋戦争下の市民生活-』から参照する。元関西大学名誉教授の小山仁示氏の分担である。
第一次から第八次まであった大阪大空襲。西区は第一次大空襲(昭和20年3月13日23時57分から14日3時25分まで)で大きな被害を蒙った。米軍機B29・274機の来襲だった。高度1500〜2900m。焼夷弾1773トンを投下した。
被災地域は、浪速区、西区、南区、大正区、東区、西成区、天王寺区。被災者数50万人以上、死者3987人。重軽傷8500人。行方不明678人。
西区の新町署管内は1万5923戸、5万3062人が737戸、2728人となって、残戸率4.6%で壊滅状態になった。同じ西区でも九条署管内は残戸率は44.7%であった
↑天理教の教会(本田四丁目)
↑明治末年にできた長屋
↑同上
↑同上
↑同上
居住されている女性のお話を訊く。明治末年にできたが、空襲もなかった。(周りの)建て替えなどで心配で‥。長屋に入っていくと魅力的な町並みが続く。しかし、マンション投資や民泊の餌食になるのではと危惧する。
本田四丁目には戦災を逃れた長屋が残っている。
↑うだつが上がっている
うだつとは、日本家屋の屋根に取り付けられる防火壁、装飾をいう。(「西区の都市景観資源紹介」西区役所発行)
↑島谷家住宅(平成23年7月1日に都市景観資源に登録される)
↑路地を入ったら、長屋が続く
↑同上
↑同上
↑同上
↑地蔵尊の土台のみある
↑マンション用地か
↑孤立した長屋
↑長屋
↑同上
↑大正時代にできたらしい長屋
本田地域の南に接する九条地域を歩く。
↑九条の町並み
↑長屋街の空き地(本田地域)
↑同上、銭湯跡か
↑同上
↑駐車場(九条地域)
↑九条三丁目
↑長屋
浄土真宗大谷派勝光寺の本堂は、九条地域の大空襲で被災した。戦後に再建された都市型寺院の堂宇。 内部には本尊・阿弥陀如来が安置され、浄土真宗の教えに基づく法要が厳修されている。また、本堂には寺宝である木造帝釈天立像が伝えられており、 平安時代作と推定されるこの仏像は、令和6年に大阪市指定有形文化財に指定された。 通常は非公開で、一般の拝観はできない。
↑浄土真宗大谷派勝光寺
↑同上
↑同上
↑勝光寺の裏の長屋
↑特区民泊がある
↑同上
↑特区民泊がある路地
↑ひったくりがあるの?
↑野宮産業株式会社、どう読むのか
↑玉船橋通の長屋
↑鰹座橋交差点(長堀通)
本田三丁目・四丁目の長屋に嵌ってしまった。田野登(大阪民俗学研究会代表)氏が長屋と地蔵尊に魅せられたと言われた意味がよくわかる。土佐堀通の長屋もいいと言われた。大阪市内にはいい建築景観がある。教えていただければありがたい。大空襲で残った景観を次世代に残していきたい。