NPO法人すみよし歴史案内人の会主催の「朝ドラ「マッサン」の舞台 帝塚山のまちを歩く」に初めて参加した。
南海高野線住吉東駅を10時に出発。摂津酒造跡→阿部喜兵衛氏邸跡→帝塚山古墳→帝塚山学院→高谷家住宅→万代池→竹鶴政孝邸跡(旧芝川邸)→阪堺電車姫松駅で解散。
↑南海 高野線住吉東駅
↑摂津酒造跡顕彰碑(2020年に建立)
↑マンション
↑同上
↑摂津酒造創業家の阿部喜兵衛氏邸跡
↑同上(非公開)
帝塚山学院は、桃山中学校の英語教師の庄野貞一が初代学院長となり大正6(1917)年4月に私立帝塚山学院(小学部)が開校した。下図には万代池が描かれている。左の中ほどに帝塚山学院小学校敷地とある。左上部に帝塚山古墳が記載されている。
大正時代初期に「東成土地建物株式会社」が丘陵を切り開き、住宅地に整備した。
↑東成土地建物株式会社経営地之図(千島土地株式会社所蔵)
↑学校法人帝塚山学院
↑同上
↑さすが帝塚山。広告がちがう
↑南海高野線 帝塚山駅
↑駅前の歩道橋は現役です
帝塚山古墳は、生野区の御勝山古墳とならぶ前方後円墳。原型を止める市内唯一の古墳。全長約93m、前方部の幅が約45m・高さ約7m、後円部の直径約54m・高さ約9mと推定されている。(「旧大阪市立大学による調査」2000年11月)
被葬者は不明。元は住吉村の財産で、今は一般財団法人住吉村常盤会が所有・管理している。
↑帝塚山古墳
↑同上
↑同上((有栖川宮)熾仁親王書)
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑市内では珍しいカンサイタンポポ
↑同上(三等三角点)
↑同上(ランドマークの「あべのハルカス」が見える)
↑同上
↑同上
高谷家は大正13(1924)年ごろに建てられた。鉄骨構造、防火扉を備えた洋風建築。屋根のてっぺんの風見鶏が印象的だ。平成10(1998)年に国の登録有形文化財に指定された。
↑高谷家住宅
↑同上
↑同上
↑元大阪女子大学跡
大阪府立大阪女子大学は万代池に面してキャンパスがあった。大阪府立大学と合併して、校地は大阪府公文書館が入居した。その公文書館も今は大阪府庁本館一階に転居している。スペースは以前に比べて、狭くなっている。
なぜ女子大学に関心があるのか。母校でもないのに。
大学の俳句会が集まって作っていた「関俳連」(関西学生俳句連盟❓)でたまに合コン(合同コンパ)をしていた。女子大学では、京都女子大学(京女)・大阪女子大学(阪女)が入っていた。共学では同志社、立命館、京大、花園、大谷、龍谷など。合コンで青春の花が咲くこともあった。甘酸っぱい思い出が蘇る。
↑蔵のある家
万代池に「帝塚山共楽園」という遊園地があった。大プール、魚釣り場、各種運動器具類も完備。食堂もあったそうだ。
↑万代池
↑姫松駅
↑マッサンとリタが一時期住んだ家の跡
↑南港通
↑同上
阪堺電車の姫松駅舎は約100年前のもの。塗装は定期的にされている。
↑阪堺電車姫松駅舎
↑同上
↑同上
寒村だった帝塚山地域を大正時代初期に住吉村村長の太田儀兵衛が耕地整理組合を設立して区画整理をした。帝塚山界隈最大の地主・山田市郎兵衛を中心に、山本藤助、久保田権四郎(クボタの創業者)、田附政治郎、芝川又右衛門ら17名の地主が「東成土地建物株式会社」が宅地造成を行なった。
大正3(1914)年から住宅地として分譲を始めた。旧制住吉中学校・帝塚山学院高等女学校・大阪府女子専門学校・大阪高等学校を周辺にして、富裕層の住む屋敷街、高級郊外住宅地になっていく。
姫松駅から阪堺電車に乗って、住吉大社に向かった。続きをご期待ください。
【参考文献】
「帝塚山古墳とマッサン思い出のまち」説明資料(NPO法人すみよし歴史案内人の会、2026年5月23日配布)
『すみ博ガイド』(すみよし博覧会実行委員会発行、2025年10月)