写真家の藤本巧さんの写真展が4月に予定されている。
猪飼野の町と朝鮮韓国人を取り続けている藤本巧さんの写真展が大阪韓国文化院(北区空心町交差点近くで不明なら東天満交差点南すぐ)で開かれる。
足代健二郎さん(郷土史家)宅にご機嫌伺いをした。藤本巧さんの写真展を紹介すると、現場を案内すると言われる。
平野川に出て、南下をした。鶴橋五丁目11-9(旧・猪飼野中2丁目35番地)を見れば、すでに更地になっていた。足代氏によれば、貸倉庫に入るには木製の大戸を横に引いて入らねばならなかった。旧町名は足代氏の手書きで貼ったと言われた。猪飼野の記憶の一つがまた消えた。写真に残る猪飼野を藤本巧さんの写真展で見ていただきたい。
↑藤本巧写真展「猪飼野詩集」のチラシ(提供:藤本巧氏)
↑同上
足代氏のご自宅から鶴橋五丁目をご案内していただいた。猪飼野を追体験していただきたい。
↑一条通中央商店街
足代さんが借りていた倉庫の跡(鶴橋五丁目11-9)はすっかり更地になっていた。
↑倉庫の跡
平野川沿いには今でも材木屋や製材店がある。廃業してコンビニを経営されている家もある。平野川沿いに材木店・製材店がいまでも見られる。
岡房商店、川音木材、小路政木材店、田中政材木店などが平野川沿いで盛業中である。足代さんの記憶では、平野川には丸太が浮かんでいたらしい。1980年代に猪飼野で働いていたが、丸太が浮かぶ光景を見た記憶がない。
↑材木置き場
↑盛業中の材木屋
↑ヤスリ屋
↑同上
↑同上
↑塗装屋
↑同上。盛業中であった
↑同上
↑同上
↑百草湯(毎日あさ風呂をしている)
↑何屋さんかな
↑路地の奥に空き地があった
長屋や空き家が意外に多いことに気づいた。それらが不動産屋(行政書士)の手を通じて、事業者の手に渡る。今は中国人が多いと聞く。半径10mの範囲に説明をして、地域からの反応がなければ特区民泊の事業が行われる。
↑生野区役所主催の「特区民泊を考える勉強会」のチラシ
鶴橋五丁目にも特区民泊があった。長屋の一軒を買収して、特区民泊を営業していた。周辺住民とのトラブルやゴミ問題があるのかは知らない。生野区でも鶴橋駅に近い場所にこれほどと思うくらい集中している。観光客と住民との共生ができるかが問われている。そして、行政(特区民泊は大阪市環境局と大阪市保健所が担当)の力量が注目されている。勉強会には20〜30名の参加者があった。生野区の将来を憂える人がこんなにもいるのかとうれしい驚きであった。
↑勝山通に面した信用金庫
↑同上
↑同上
大池橋まで勝山通を歩いた。その中間の信用金庫の建物が照明で浮かんで見えた。心に灯った希望のように見えた。