谷町六丁目駅を上がれば、空堀商店街になる。上町台地に広がる空堀。桃谷連合と桃園連合からなる空堀地域。西は松屋町筋から谷町筋、東は上町筋。東西に貫く商店街。空堀商店街振興組合、空堀商店街協同組合、空堀通り商店街振興組合から成っている。
↑趣きのある民家
空堀通りと善安筋の辻に寄席「澤井亭」があった。「らくだ」や「高津の富」も演じられた。落語、芝居、奇術、漫才が舞台で演じられた。駆け出しの頃のエンタツ・アチャコが出演したという。近くに住んだ秋田実の漫才ネタも演じられた。天六のくらしの今昔館に澤井亭が模型で再現されている。『ぶら空堀MAP』(発行:空堀商店街振興組合・空堀商店街協同組合・空堀通り商店街振興組合)と『大阪市中央区わがまちガイドナビVOL.1』(平成21年3月、発行:大阪市中央区区民企画担当)を参考にしました。
↑この辺りに寄席の澤井亭があった
澤井亭は、くらしの今昔館(北区天神橋六丁目)が調査をして、ジオラマを作成をしている。常設展示で「空堀」が再現されている。ぜひ一度足を運ばれたい。
↑空堀のジオラマ(@くらしの今昔館)
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑路地の入口(民泊施設がある)
↑お稲荷さん
↑路地
↑スーパーライフ横の石垣
↑空堀商店街北側の石垣
↑商店街の北側の石垣
大阪市立桃園小学校は平成3(1991)年3月に閉校になった。今は桃園公園になっている。小学校の校舎があれば避難所になるが、災害時に住民はどこに逃げたらいいのだろうか。また、旧大阪市立南高校の校舎があるが、避難所になっていない。住民は内部に入れない。なぜなのか。
↑二宮金次郎の銅像
↑大阪市立桃園小学校跡
↑同上
谷町筋から桃園公園に下る石段を「観音坂」という。天保6年まで坂の上に藤棚観音の和勝院があったと言われる。
↑観音坂
↑豊臣秀吉が大坂城を守るため、城の南側に築いた外堀が水を入れない空の堀だったので「空堀」という説もある。
↑石垣がきれいに積まれている
↑同上
↑同上
↑同上
空堀は路地の町である。東西に商店街が続き、たくさんの人出で賑わう。
瓦土取場であった跡は借家に使われ、市街地化した。明治初期に骨屋町筋・御祓筋に蝋製造業者が居住した。明治末期に工業化で住宅需要が高まる。製蝋業者は広い蝋のさらし場に路地を張り巡らせて長屋を建てて借家経営に転業した。
路地の町はいま町並みに危機が迫っている。長屋が民泊施設に変貌して、その密度を増している。大阪市内のある区では、区長が提案のもと町会長と勉強会をするらしい。
歴史的町並みを自治会だけで保存・維持するのは限界にきている。行政の出番である。例えば、「空家バンク」を行政の責任で設けて、長屋を借りて住みたい人の需要に応えることはできないか。不動産業者に頼って、長屋を一夜泊まりの外国人に提供する民泊施設にしてしまっていいだろうか。ゴミや騒音問題などに行政は見て見ぬ振りをしてよかろうか。大阪市保健所と大阪市環境局の責任が問われている。
【追加】
不適切運営は指導へ 大阪市「特区民泊」実態調査 /大阪
地域(毎日新聞2026年2月17日朝刊)
個人宅やマンションなどを利用した「特区民泊」について、大阪市は16日、市内約7000の施設を対象に行った営業実態調査の結果を公表した。市は不適切な運営が判明した施設や調査に回答しなかった施設を「重点監視施設」に選定し、来年度にも立ち入り調査や指導を実施する。