江之子島から木津川橋を渡る。橋上から上流・下流を見れば、文明開花の音が聞こえてくる。外国人がそぞろ歩いていそうだ。
↑住友倉庫大阪支店川口倉庫
↑上流部を見る
↑下流部を見る
↑対岸の江之子島
↑同上
↑日本生命病院
↑同上
川口居留地跡を行く。川口基督教会の手前に気になるビルがあった。ネットで調べる。川口連棟式事務所ビルとある。通称が川口アパート。大阪市西区川口1丁目にある。1921年築と言われる。鉄筋コンクリート造。地下1階付き2階建ての連棟式事務所ビル。近くには夕刊紙の「旧新大阪新聞社屋」があった。(Yukio Takebeさんのクチコミを参照)
木津川橋を渡ると、かつてそこには夕刊紙の「新大阪新聞社」の社屋があった。
↑新大阪新聞社の跡にマンションが建っている
↑同上
↑同上
↑川口アパート
↑同上
↑同上
【日本聖公会 川口基督教会のHP】
1859年、米国聖公会宣教師C.M.ウイリアムズ主教は、日本プロテスタントの初宣教師として長崎に着任しました。
1868年大阪港の開港とともに、1869年に長崎から大阪にやってきたウイリアムズ主教は川口に移住し、1870年、自宅の一室に設けたチャペル大阪で英語による礼拝を始めました。これが、この地でのキリスト教宣教の始まりであり、当教会の第一歩となりました(2020年宣教開始150周年)。
ここから端を発して、当時「川口居留地」と呼ばれたここ「川口町」では、多くの来日宣教師たちが伝道を始め、プール学院、桃山学院、平安女学院、大阪女学院などのミッションスクールや病院などが建てられました。
礼拝開始とともに1871年には英語塾が開設され、1873年には聖テモテ学校、1881年には英和学舎(立教大学の前身)と改称されます。1882年英和学舎の聖堂として聖テモテ教会が建てられ、1891年に近所の聖慰主教会と合併して「川口基督教会」となり、1920年に現在の聖堂が建設されました(聖堂聖別100周年)。1950年には、大阪教区の主教座聖堂となりました(主教座聖堂指定70周年)。
川口基督教会の聖堂は、第二次世界大戦の際、1945年3月の大阪空襲により屋根の焼失などに見舞われましたが、修復されました。しかし、1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、教会の塔が倒れ、聖堂は大きな被害を受けました。一時は取り壊しかと思われましたが、世界中の人々の力に助けられ、1998年に聖堂が復元されました。
↑川口基督教会
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑川口フェスタのチラシ
大阪市立本田小学校の横に「川口居留地跡」が建っている。
↑川口居留地跡碑
↑同上
川口基督教会は「イケフェス大阪2025」に参加している。後日、教会聖堂の見学に参加しよう。