成瀬國晴個展

 10月23日に待望の「成瀬國晴個展」を観た。ご本人に戦争体験をお聞きした。90歳とは思えないお元気な方だ。ご本人から撮影とブログ掲載の許可をいただいた。大阪市内に在住なので、機会があれば学童疎開のご経験を詳しく聞かせていただきたい。

f:id:higachanntan:20251024222750j:image↑個展のチラシ

f:id:higachanntan:20251024222742j:image↑同上

 個展の会場は、元大阪府立工業奨励館附属工業会館として1938(昭和13)年に建てられた、戦前のモダニズム建築。鉄筋コンクリート造4階建て。設計は大阪府営繕課。施工が大林組。戦前の建築物が破壊されようとしたのを住民運動で残された貴重なもの。初代の大阪府庁舎は1874(明治7)年にここ江之子島に建てられた。しかし、初代の庁舎は太平洋戦争の空襲で焼失した。二代目の大阪府庁舎は1926(大正15)年、大手前に建てられ現在に至っている。大手前の庁舎前庭に初代の庁舎の遺構が移されている。

 

f:id:higachanntan:20251024222755j:image↑個展の入口(大阪府江之子島文化芸術創造センター)

   1941(昭和16)年、成瀬國晴さんの母校は大阪市立精華国民学校と改称する。現在は廃校になり、商業施設内に「記念室」が設置されている。
f:id:higachanntan:20251024222738j:image学童疎開難波駅前から出発
f:id:higachanntan:20251024222730j:image↑同上(大阪市立精華国民学校学童集団疎開平松寮の図)
f:id:higachanntan:20251024222800j:image↑同上(ついに終戦)
f:id:higachanntan:20251024222735j:image↑帰郷(1945年秋)
f:id:higachanntan:20251024222746j:image↑焼失したミナミ(1945年3月)

  接写しないようにと撮影許可を得たので、以下に印象に残った作品を掲載する。

f:id:higachanntan:20251024225535j:image↑作品
f:id:higachanntan:20251024225644j:image↑同上
f:id:higachanntan:20251024225548j:image↑同上

 

【戦後80年 卒寿の置きみやげ

成瀬國晴個展「時空の旅–そして戦後」】

 ことしは「戦後80年」にあたる節目の年です。

 平成26年(2014)、学童集団疎開70年にあたり「時空の旅」77点を発表しました。

 戦時中、わたしは、大阪の中心難波から滋賀県湖東に学校ぐるみで行く集団疎開組でした。

 約1年間、疎開先での不慣れな生活を大人たちの「愛」で守られ彼地で終戦を迎えるまでを描き、その感謝を込めて開いた「時空の旅」展は、大阪、滋賀、東京、宝塚など計9会場を巡り、「語らい」「感動」「涙」を多くの来場者に呼び起こしました。

 今回の個展はその続編で、終戦直後の混乱期、昭和20年(1945)からの約5年間にわたる大阪の世相、風俗、生活、風景などを10歳の子どもに戻って描いた体験記憶画56点です。

 敵による空からの爆弾におびえ、大空襲で焼け野原になった国土のなかから父や母の世代は立ち上がり、次代への土地を耕し肥やしました。

 きびしい飢えをしのぐなか、「リンゴの唄」や「青い山脈」の曲がその時みんなの応援歌でした。

わたしが生きた時代の絵たちが「リンゴの唄」のように応援歌の序曲となればと思っています。

 

 10月26日(日)まで開催されているので、会場でじっくりご覧いただきたい。