しのぶ俤

 9月27日、玉出の壽光寺で「真山隼人浪曲勉強会」があった。郷土史家の足代健二郎さんと酷暑の中、足を運んだ。プログラムは下の写真の通りだ。

f:id:higachanntan:20251005230631j:image↑真山隼人の浪曲勉強会のチラシ

f:id:higachanntan:20251005235654j:image↑舞台

 

 壽光寺で開かれる法要と記念行事を紹介しよう。豪華メンバーが出演する。
f:id:higachanntan:20251005230617j:image↑法要と記念行事
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 寺の隣に「粉浜霊園」がある。足代さんが霊園にどんどん入っていった。その中に風変わりな墓が一基あった。
f:id:higachanntan:20251005230650j:image↑竹本町太夫
f:id:higachanntan:20251005230704j:image↑同上
f:id:higachanntan:20251005230628j:image↑同上

 「竹本町太夫之墓」と読める。義太夫の師匠なんだろうと深く考えずに、地下鉄玉出駅に向かった。

 

 後日、『しのぶ俤』(昭和8年2月発行、発行人:大盛千之助 鶴澤寛治郎事)によれば、竹本町太夫(釈宗春)は明治27年10月3日死亡となっている。それには墓所が書いてなかった。

 

 また、竹本町太夫は明治中期ごろの文楽で「端場語りの名手」だった。「端場とは一段中での最初の部分、またはさして重要でない語り場」をいう。芸があるのに、「悲しいかな人気のあがらなかった人で、大して用いられず不遇のうちに逝くな」った。『国立劇場上演資料集』(国立劇場調査養成部芸能調査室編、1984年5月)

 

 こんな墓地に人知れず眠ってはったのか。芸の力では他の太夫より実力を持っていたのに、不遇な人生を歩んだ義太夫語りだったのだ。

【参考文献】

音曲の司「File116-2」義太夫掃苔資料(2015年11月27日)2025年10月5日に閲覧。

 

【追伸】

 ついに発表された。大阪松竹座の舞台で「真山隼人 浪曲の会」が行われる。しかも「じゃリン子チエ」を唸るのだ。特別ゲストもありですぞ。楽しみ、楽しみ。

f:id:higachanntan:20251005235203j:image大阪松竹座さよなら公演