池袋駅周辺を歩いた。「サンシャイン60」ができた頃に行ったことがある。1978(昭和53)年にビルが完成したころだろう。水族館が有名だった。
かつてそこには東京拘置所があった。戦後、GHQが戦争犯罪人を収容して、「巣鴨プリズン」と呼んだ。A級戦犯やBC級戦犯が収容されていた。1958年5月30日に彼らがいなくなり、東京拘置所が復活した。そして、東京拘置所は小菅に移転して、現在に至る。その敷地は、現在のサンシャインシティ、池袋サンシャインシティ、東京国際大池袋キャンパスになっている。
1978年6月、巣鴨プリズン刑場跡地に「永久平和を願って」の石碑が建立された。
↑巣鴨プリズン(『巣鴨プリズンの遺構に問う-戦犯者の面影と幽囚の日々-』巣鴨プリズン史研究推進委員会発行、槇書房刊、1981年)
↑サンシャイン60
↑住居表示が東池袋と変わっても‥
↑巣鴨プリズンの周辺
↑同上
↑同上
↑同上
↑東池袋中央公園
↑公園内の「世界平和を願って」碑
↑同上
↑サンシャイン60
↑東池袋中央公園の案内板
↑サンシャイン60
↑片岡球子作「江戸の四季」
↑同上
↑同上
↑東池袋から池袋駅西口に抜ける「雑司ヶ谷隧道」
↑トンネルを抜けると池袋駅西口に
↑地図の中央に「巣鴨プリズン」が描かれている(「古地図散歩アプリ」より転載)
サンシャイン60のビルは広大で、たくさんの人でごった返していた。目的地に着くのに何度もインフォメーションの方に聞いた。交番の巡査に聞いて、やっと刑場跡の慰霊碑にたどり着いた。東池袋中央公園と名を変えても、公園の雰囲気は妖気を漂わせていた。子ども連れや若者もいたりしたが、ヒガチャンには表現できない異様感があった。「サンシャイン」と明るさを強調しても、そこは拘置所であり、刑場で戦犯が処刑されたのだ。戦争犯罪を裁く「東京裁判」があり、その戦犯は巣鴨プリズンで生活した。A級、BC級戦犯の一部は、巣鴨プリズンで処刑された。
今は、サンシャイン60というビルに人出が吸い込まれ、楽しそうにショッピングをしている。しかし、そこが戦争犯罪者(戦争証明者といえばいいのか)が居住していた拘置所があったことを知っていてほしい。
【参考文献】
『スガモプリズン-占領下の異空間-』(内海愛子著、岩波新書、2025年)
『巣鴨プリズンの遺構に問う』5頁の巣鴨プリズンの全景を転載したが、発行者との連絡が取れません。情報をご存知の方は当方までご一報ください。