城東区には三つの公立保育所がある。鯰江保育所、鴫野保育所、関目保育所の三保育所。関目保育所が民営化されるのが決まっている。公設民営の保育所(今福南保育所)もある。
鯰江保育所には思い入れがある。長男と長女がお世話になったからだ。昭和57(1982)年ころ、長男が入所するのにたいへんな苦労をした。その頃は東淀川区日本住宅公団豊里団地に住んでいた。入所申し込みの期日が過ぎていて、東淀川区役所に行っても埒があかなかった。城東区役所に相談に行っても、「住んでいる東淀川区役所に相談しなさい」の一点張り。
勤務先が生野区の中学校だったので、バスで杭全行きのバスに乗り、新喜多大橋のバス停にいる母におんぶ紐の長男を託していた。民間保育所に一時保育の契約をしていたが、いろいろな名目の出費があり、公立保育所に入れたいと願っていた。
それから一週間、城東区福祉事務所に日参することになる。守口車庫行きのバスで城東区役所前バス停で下車すると、その前に区役所があった。今はそこに東大阪病院が建っている。
区役所の階段を上り、右折した奥に福祉事務所があった。カウンター越しに担当者と一週間やりとりした。初めはそっけなかった。保育に欠ける状況を縷々説明した。長男を背中におんぶして、説明したのだ。最後の手を使うしかない。「大阪府知事に不服申請をするので、その書類をください」と迫った。担当者は上席に相談しに行った。何かお互いに話している。戻ってきた担当者は「検討するので、時間をください」と返答した。やったあ。
しばらくして担当者から電話があった。鯰江保育所に空きができたから、手続きに来てくれとの連絡だった。
思い入れがある鯰江保育所はいつからあるのかが気になった。幼稚園なら創立○年記念誌を出すだろう。鯰江保育所にはなかった。調べるしかない。城東図書館の司書さんの協力も得た。
【鯰江保育所の歴史】
⚫︎昭和16(1941)年3月 旭市民会館開設に伴い「旭市民館託児部」が開設された。「旭市民館」は昭和15(1940)年9月、旭区今福中1丁目の土地に市費6万8千円(約1億2千4百64万円)で起工された。
(参考文献)
大阪市民生局『大阪市民生事業史年表:明治元年〜昭和57年(大阪市民生局報告;第240号)』
大阪市民生局『保育所のあゆみ1909〜1945(民生局報告;第140号)』
⚫︎昭和18(1943)年 区政再編成により「城東市民館付設保育所」と改称した。
(参考文献)
大阪市私立保育園連盟『大阪の保育史』
⚫︎昭和23(1948)年7月23日「鯰江保育所」として認可される。
(参考文献)
大阪市HP『特定教育・保育施設基本情報』閲覧(2025年9月13日)
https://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/cmsfiles/contents/0000012/12690/17-namazue.pdf
⚫︎昭和44(1969)年9月〜昭和45(1970)年3月 「鯰江保育所」新築工事
↑鯰江保育所(『城東区史』城東区役所、昭和49年刊より転載)
(参考文献)
大阪市建築局建築部企画課『営繕年報1970』
その後、「鯰江保育所」の改築工事が行われた。
鯰江保育所の歴史を書いてきた。なぜこの地域に保育所ができたのか。『城東区史』(昭和49年)の126頁から引用する。
大阪市社会事業研究会総会が昭和五(1930)年10月21日市庁議員控室で報告と討議の速記が残されている。市民館の設置を希望したのは8ヶ所。鶴橋・今宮・三国・市岡・木津・千鳥橋・浦江・海老江・今福。どういう見解から選ばれたのかが記されている。
↑旧鯰江公設市場
↑旧城東保健所(現在:城東区医師会館)
①労働者の多く居住しているところ、②一般に不良住宅地区と考えられているところ、③少額給料生活者の多く住んでいるところとなっている。「大阪市立市民館使用条例」の意図を具体化したものと言える。
↑鯰江保育所
↑同上(門の奥に公設質舗があった)
https://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000659635.html
今の大阪市は「官から民へ」を標榜している。果たして福祉行政を市場化の波に放り出していいのだろうか。
↑旧
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