『女工哀史』の出版から今年が100年。
↑岩波ブックレットの新刊
↑元大阪市会議員・浜浦重治さんの手書きの地図
浜浦重治さんの地図をもとに歩いた。正確な地図に驚きを感じる。
阪神なんば線伝法駅に10時に集合。伝法公園(元万歳酒造跡)に場所を移して、コースの確認をした。国道43号線を渡る。伝法の寺町通りである。安楽寺の煉瓦を調査する。刻印から年代と製造地が判明する。
イカリソース伝法工場跡(此花区伝法3丁目)が広がる。コの字状になっている。北に新淀川の堤防、南が一方通行の道路。土地を事業用に使おうとしても難しいだろう。
伝法工場は2014年に閉鎖した。医療福祉施設などを検討していたようだ。建設ニュースの報道(2014年9月)から11年が経過している。今も更地状態(工場や社員寮の跡地)である。カバヤ食品は1983年、カバヤ第一食品を吸収合併、大阪工場として約30年間操業してきた。工場跡地の敷地面積だけで約1ヘクタール近くある。
↑イカリソース伝法工場跡
山中邸(元・山中味醂醸造所)を見学する。天保7(1836)年3月創業。ふだんは一般公開されていない。内部は山中マンションとも言われて、賃貸していたみたいだ。
↑山中邸
↑同上
↑同上
↑同上
↑山中邸の全景
↑山中邸の土蔵
西念寺前を通過して、伝法港からの六甲山は見えなかった。伝法団地(紡績工場跡)を通過して、正蓮寺に至る。13時までに乗船名簿を提出することになっていた。
↑すみきり弁当(精進料理で案外美味でした)
本堂で法要が行われた。僧侶・信者が集まり、読経「南無妙法蓮華経」が堂内に響いた。題目から諸霊の成仏を共に祈る気持ちに違いはない。
代表焼香が始まる。池上本門寺檀家総代、正蓮寺檀家総代鴻池さん、四貫島連合町会長、此花区長、副区長、担当課長(課長補佐)、日蓮宗大阪宗務庁、前衆議院議員(与党)など。正蓮寺の宗教行事だけでなく、大阪市指定無形民俗文化財なので、重要な行事になっている。仏教徒で異教徒のヒガチャンにも川施餓鬼に参加できて有意義であった。
↑お神輿(提供:田野登)
↑寺内からお神輿が出る
↑同上
↑同上
↑伝法港(提供:田野登)
↑伝法港
↑新淀川から出航する
↑風波強く、出航できず
↑お神輿の鎮座する御座船だけ出港した
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑未使用の乗船券
↑いただいたマッチ
↑同上(桜正宗との繋がりがわかる)
↑同上
↑同上
法要を終えて、恩貴島橋の少し上流にあった明石島(奴隷島)の調査に移る。
↑写真中央にある石垣が明石島の北岸ではないかと推定する。
↑正蓮寺川と奥の明石島
↑正蓮寺川
浜浦重治の手書きの地図をたどって、春日出地域を歩く。旧墓地が撤去されて、野原に変わる。その東北隅に伏見稲荷大社の末社が祀られている。
↑伏見稲荷大社の末社
↑末社の溝に関西電力の蓋が残る
↑駐輪場
↑墓地跡に老人ホームが建っている
↑長屋の裏
変遷が世の習いとは言いながら、墓地が老人ホームに変わっていたとはブラックユーモアではある。
以下の三枚の写真は浜浦重治氏の地図に存在した会社で、今も盛業中の会社である。
↑ある会社
↑ある会社
↑長生温泉(現在は栄湯)
四貫島商店街に7月からオープンした大衆演劇場である。細井も見たかもしれない。
↑四貫島商店街の大衆演劇
庶民の町ー此花区。細井和喜蔵は三年間、恩貴島橋の南側、春日出町の労働下宿(工場指定)「澤井」に下宿していた。下宿人は30人程とおり、橋を渡って工場に通勤していた。(「『女工哀史』の誕生」和久田薫著、かもがわ出版)
明治・大正期に此花区で暮らしていた細井は「川施餓鬼」を見たのだろうか。そして心中に何を考え、何に怒りを感じていたのだろうか。
【参考文献】
「此花昔ばなし」(浜浦重治著、1978年12月発行)
「建設ニュース2014.9.12」(2025年8月30日に閲読)