昭和七(1932)年に河内から大和にかけて陸軍特別大演習があった。しかも天皇の行幸もあった。1932年は、満州事変(1931年)の翌年である。
『陸軍特別大演習大阪市誌』には関連地図が満載である。『陸軍特別大演習大阪府誌』は写真が多い。当時の大阪市長は関一(せき はじめ)であった。
関一市長の像は、中之島の中央公会堂前にある。彼が大阪に来るきっかけは前市長の池上四郎に助役を要請されたためである。なお、池上市長の像は天王寺公園の「てんしば」前に鎮座する。
大阪は軍都であった。大阪城周辺は軍事区域であった。第四師団司令部があった。南には陸軍歩兵第八連隊や歩兵第三十八連隊もあった。東には、砲兵工廠や城東練兵場があった。今は旧日本住宅公団森ノ宮団地や大阪公立大学森ノ宮キャンパス、大阪城公園、ピース大阪になっている。
今と比べて、軍国主義華やかなりし写真が出てくる。平和な時代にお互いに感謝しよう。
『陸軍特別大演習大阪市誌』には貴重な地図が多く載っている。
↑城東練兵場の地図(『陸軍特別大演習出て出て大阪市誌』より転載)
↑集合計画要図
↑式場設備及び分列前集合態勢要図
↑横断道路一覧図
↑私立精神病院収容数及び事故数
↑賜饌場配置図
↑大本営行在所配置総図
↑行在所大本営配置平面図
↑昭和天皇の写真
『陸軍特別大演習大阪府誌』は写真が主である。写真集で、大阪城や城東練兵場、大阪砲兵工廠の画像が収められている。
↑大本営正門(大坂城大手門)
↑大本営(第四師団司令部)と大阪偕行社(現・追手門学院大手前中・高校)
↑大阪府聴と御座所(大本営)
↑奉迎風景(大阪駅前)
↑大手前通御と大本営御着輦
↑大本営発御(戦後に焼けた紀州御殿が写っている)と大手門発御
↑大軌停留所着御と大元帥陛下御統監(奈良県)
↑ご講評へご臨幸(南海難波駅)と高齢者奉迎(堺方面)
↑観兵式(大阪城東練兵場)
↑観兵式(城東練兵場)と賜饌(第三十八連隊営庭)
↑大阪府聴
↑大阪府聴と輜重兵第四大隊営庭での親閲式
『日常と地域の戦争遺跡』(大西進編、批評社刊、2022年)によると、「聴音機は夜間や曇天時に音で敵機を捉え、高射砲隊に位置を知らせる兵器」と書いている。高射砲陣地は、守口、鶴見緑地、今津西(城東区)、真田山、巽(生野区)、大正飛行場(八尾市)、長居、大泉緑地にあった。
↑大阪城公園で大阪府民献納の防空機(聴音機)の天覧と大阪府立工業奨励館へのご臨幸
↑ご親閲(大阪城東練兵場)
↑ご親閲(大阪城東練兵場)と大阪城天守閣ご登臨
↑大阪城庭園と還幸
↑大阪駅前での奉送
↑奉祝の提灯行列(大手前)と花電車
昭和七(1932)年の「陸軍特別大演習」は過去の出来事だ。93年前の話。1931(昭和六)年の翌年だ。見覚えのある南海なんば駅や近鉄上本町駅も厳しく着飾った時代もあった。平和な大阪城公園も80年前は軍事施設だったのだ。80年以上前に戻りたいとは思わない。これからも日本が平和な国であるように願わずにおれない。
↑関一
↑同上
↑同上
↑同上
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