今は平和博物館である「ピースおおさか」(大阪国際平和センター)が建っている大阪城公園やJR西日本森ノ宮電車区、大阪メトロ森之宮工場、都市再生機構(旧住宅公団)森ノ宮住宅、大阪ビジネスパーク、大阪公立大学森ノ宮キャンパスの地域には、東洋一の軍需工場・大阪砲兵工廠があった。
大阪砲兵工廠は1870(明治三)年、造兵司として大阪城三の丸米倉跡に設立された官営軍需工場である。陸軍直営の兵器工場として大砲など重量兵器の製造にあたった。広さは約40万坪。最盛時の従業員数は6万8000人に及んだ。
砲兵工廠は、過酷な労働に伴う労働災害が多発したため、1903(明治三十六)年に砲兵工廠診療所(現在、ピースおおさかが建っている)を設けた。太平洋戦争後、一部改築されて東市民病院となり、1966(昭和四十一)年から身体障害者福祉センターとして使われていた。ピースおおさかは、1991(平成三)年に開館した。よって、砲兵工廠診療所の建物は存在していない。
↑旧砲兵工廠診療所(1987年当時の写真か)
↑ピースおおさか(同じアングルから2025年7月に撮影)
↑同上
陸軍衛戍刑務所とは、軍法会議で判決を受けた軍人が服役した施設で、大阪城公園城内詰所内に設置されていた。「大阪衛戍監獄」と呼ばれた時代もあり、1930(昭和五)年ごろ、「金沢第七連隊赤化事件」に連座した陸軍二等兵で反戦川柳作家の鶴彬(つる・あきら)が収監された。門柱と煉瓦塀は当時のものである。
鶴彬は石川県出身で、大正末年頃から川柳に志し、1938(昭和十三)年に29歳で獄死した。彼の代表句は、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」が有名である。
↑旧陸軍大阪衛戍刑務所
↑同上
↑同上
大阪城公園にはバスで外国人観光客が押し寄せている。多言語が飛び交ってもいる。しかし、80年前まで大阪市内が軍事都市(軍都)であったことを知っておいてほしい。
【参考文献】
『大阪の戦争遺跡ガイドブック』(戦争体験を記録する会・編、清風堂書店刊、1987年)
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