大日本国防婦人会関西本部会館(旧大阪府婦人会館)

 『大阪の戦争遺跡ガイドブックー21世紀の子どもたちに平和をー』という本を所蔵している。便利なので、よく使わせてもらっている。1987年7月20日初版第1刷発行と奥付にある。編著者は、戦争体験を記録する会・大阪教育文化センター。清風堂書店出版部刊。清風堂書店は日興ビルの解体に伴い、書店は閉店したが、出版部は北区で営業している。

 執筆者は、青木一・久保在久・菅原藤子などの泉下の方々を含む21人の方々。大阪民衆史研究会副会長の松浦由美子氏に許可をいただき、転載する。

f:id:higachanntan:20250715230411j:image↑もと大日本国防婦人会関西本部会館・大阪憲兵隊司令部。左隣が大槻能楽堂

 大日本国防婦人会関西本部会館は昭和12(1937)年3月、30万人会員から集めた資金16万円で建設された。大阪憲兵隊司令部が置かれたりした。

 昭和16(1941)年9月、茨木市の地権者から大日本国防婦人会関西本部会館に土地が寄付される。

 昭和31(1956)年11月、財団法人大阪婦人会館に無償譲渡された。

 平成4(1992)年大阪府に寄付され、大阪府警察本部上町別館になる。

 平成25(2013)年2月、NTT都市開発株式会社に所有権移転され、現在は高層マンション(ウエリス難波宮上町)が建っている。

f:id:higachanntan:20250718022323j:image↑上町交差点
f:id:higachanntan:20250718022319j:image大槻能楽堂
f:id:higachanntan:20250718022307j:image↑旧大阪府婦人会館の跡に建つ高層マンション
f:id:higachanntan:20250718022311j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250718022328j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250718022315j:image↑左の建物は大槻能楽堂

 国防婦人会は、 昭和7(1932)年3月、「国防は台所から」をスローガンに、大阪市港区市岡で「大阪国防婦人会」(国婦)が誕生した。もともと出征兵士をかっぽう着姿で暖かく見送りたいと考えたといい、折からの国防献金運動とあいまって国婦が誕生することになった。やがて陸軍省の支持を得て東京にも進出、同年10月に国婦の発会式が行われ、会の名称を「大日本国防婦人会」と改めた。翌8年(1933)に「会員十万人あらば!」をスローガンに、地域分会・職場分会方式で組織の拡大がはかられ、9(1934)年4月には総本部が発足した。さらに12年(1937)7月、日中戦争勃発後、国婦は「一家に一人をスローガン」とし、会員数1000万人にのぼるなかで、17(1942)年に大日本婦人会へ統合された。(奈良県立図書情報館のHPの「ギャラリー」より引用)

   安田せい(港区磯路通1丁目の主婦)、三谷英子、山中トミ(港区八幡屋元町で助産婦を開業)の三人を幹部にして発足した。山中トミはのちに運動から離れ、他区に移住した。戦後の安田せいと三谷英子の所在は不明である。

f:id:higachanntan:20250718105902p:image↑国防婦人の歌(以下の3枚の写真は奈良県立図書情報館のHPから転載)
f:id:higachanntan:20250718105910p:image↑回覧板(京都市)
f:id:higachanntan:20250718105854p:image↑慰問袋募集配分表

 旧大阪府婦人会館(現・大阪市中央区上町A-10)を一度利用したことがある。昭和48(1973)年に婦人会館が大阪府立公立学校採用試験(中学校)の面接会場になった。G判定をもらって、面接に合格すれば採用になる。10人が横一列に並んで、卒業論文のテーマを15分以内で述べる試験だった。「松尾芭蕉の『おくのほそ道』の私小説性」について話したと記憶する。試験官(指導主事)に伝わっただろうか。

 8月に大阪市教育委員会から電話がかかった。大阪市東淀川区(現在の淀川区)の中学校国語の非常勤講師に来ないかとのお誘いであった。8月末に当該校に面接に行った。それからが教師人生のはじまりだった。

 

f:id:higachanntan:20250718022707j:image谷町四丁目周辺の地図
f:id:higachanntan:20250718022717j:image大村益次郎殉難記念碑
f:id:higachanntan:20250718022723j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250718022712j:image↑同上。松下幸之助松岡洋右小林一三鴻池善右衛門の名も見える
f:id:higachanntan:20250716165527j:image京阪東口にあった「テレビ大阪」の社屋が解体中
f:id:higachanntan:20250715222739j:image↑同上。テレビ大阪は東隣に移転した

【参考文献】

『実記 百年の大阪』(読売新聞大阪本社社会部編、朋興社刊、昭和62年)