土田ヒロミ写真展を午後に観に行く。7月11日、空は曇って夕立があってもおかしくない。
地下鉄淀屋橋駅で下車し、商業ビル「淀屋橋ODONA」を通り抜ける。
↑大阪市立愛日小学校が存在したことを現している
↑愛日小学校の玄関
↑愛日小学校をさらに知りたい方には
↑ビルの西側に愛日小学校の碑がある。作詞の谷山茂氏は大阪市立大学名誉教授で、中世文学研究者。私も講義を受けた
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
碑は商業ビルの西側に建つ。さらに西に向かって歩く。
「鶴屋八幡」本店が見えてくる。大阪で有名な和菓子屋である。『御菓子の栞』(令和7年春・夏号)を参考にする。「鶴屋八幡は、初代の奉公先であった元禄年間創業の「虎屋大和大掾藤原伊織」という上方の有名老舗菓子店の製法を継承し、文久三(1863)年大阪高麗橋に暖簾を掲げ」たと書いている。
大阪歴史博物館の特別企画展「和菓子、いとをかし」の展示資料として、『摂津名所図会』に「高麗橋虎屋春繭(かし)店」が載っている。寛政10(1798)年に秋里籬島が編集した。「虎屋伊織(虎屋大和大掾藤原伊織)は元禄15年(1702)創業の菓子舗です。大坂は高麗橋に店を構えました。虎屋饅頭は特に有名で、当時、人気の滑稽本であった『東海道中膝栗毛』の袋にも饅頭の包みが描かれるほどでした」
↑鶴屋八幡亭(鶴屋八幡蔵)
↑鶴屋八幡本店
鶴屋八幡の沿革については、今後の課題にしたい。
鶴屋八幡本店の西隣に「大阪倶楽部」がある。「知の交流と心のふれあいの場」として大阪で設立された伝統と歴史のある会員制社交倶楽部とHPにある。(2025年7月11日閲覧)
大正元(1912)年11月に誕生した。建物の設計者は安井武雄で、大正13(1924)年に完成、今は国の登録有形文化財になっている。大阪ガスビルディングの設計も安井武雄である。昭和19(1944)年に外壁をコールタールで迷彩を施した。
↑大阪倶楽部
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
大阪倶楽部の向かいには、もと消防署であった建物がある。旧中央消防署今橋出張所で、大正14(1925)年に建設。鉄筋コンクリート造3階建て。1階が消防車の入るガレージ。
↑もと消防署であったレトロビル
↑同上
↑旧消防署から大阪倶楽部を見る
↑京阪淀屋橋駅東地区都市再生事業の「淀屋橋ステーションワン」(高さ約150m)が竣工
↑同上(中央日本土地建物、京阪ホールディングス、みずほ銀行の三社の共同事業)
↑京阪天満橋駅
↑同上(自転車が駐輪していた場所にレンタルバイクが整然と並んでいる)
定点撮影をして、街の変遷を記録しようかと考える。しかし、変遷のあまりのスピードに足がもつれるのを心配する。
【参考文献】
『中央区史跡文化事典(改訂版)』(中央区役所刊、平成22年11月)