住まい情報センターでの講演会(5月17日)に参加して、帰宅するのも惜しいと思った。題名が「知らなかった大坂蔵屋敷あれこれ」で、朝日新聞社の創業が、中之島にあった宇和島藩蔵屋敷だったとは。中之島香雪美術館に宇和島藩蔵屋敷の写真があった。蔵屋敷で存在するのは、天王寺公園内の黒田藩蔵屋敷の長屋門のみである。
天神橋筋六丁目から徒歩で行ける範囲を歩いた。国分寺と北霊園(長柄墓地)に絞った。
↑天六周辺の地図
↑天六ガス爆発事故の現場(国分寺町)
↑同上(都島通)
↑同上
↑同上
↑同上(ラーメン店開店祝の花束です)
↑路地に生えるユキノシタ
↑都島通のお寺
↑国分寺公園
↑天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑
↑同上
↑同上(慰霊碑の裏面)
↑国分寺の看板にある写真
↑鐘楼(犠牲者のお骨が祀られている)
↑犠牲者の氏名
↑同上
↑同上(ご遺骨が鐘楼内部に祀られている)
市設北霊園(長柄墓地)の向かいにある大正時代の名建築「豊崎東会館」が塀に囲まれて、一部壊されている。たぶん大阪市は土地を転売して、マンションになるだろう。
↑塀に囲まれた豊崎東会館など
↑同上
↑同上
↑工事現場に掲示されている、行政に提出された文書
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
北斎場、北霊園、小学校、民間の葬儀場を囲むように、マンションが林立している。北霊園の事務所で「有名人のお墓」のコピーをいただく。
↑長柄墓地にある「旧弘前藩士」の墓。弘前藩の蔵屋敷に詰めていた武士なのか
↑長柄墓地から見た豊崎東会館
↑霊園事務所で頂いた「有名人のお墓」リーフレット
↑同上
↑同上
↑同上
↑歩道橋からみる阪急千里線
↑同上
↑旧ホクテンザ(今はすし店)。シネ5ビルの中にあった
↑すし店のなまこ壁
↑天七商店街
有為転変を感じる今日此頃である。北市民館の跡に住まい情報センターや今昔館ができた。葭原墓地もなくなり、長柄墓地に集約された。天六のシネ5ビルもなくなった。跡にはくら寿司ができた。北斎場を囲むように高層マンションが建つ。生活の場(マンション)が死の場所(斎場と霊園)と近接・共存する地域が長柄地域だと見えてくる。
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第二回 2025年5月31日(土)13時30分〜15時まで 「江戸時代住友家の本店と抱屋敷」(住友史料館副館長 海原亮さん)
第三回 2025年6月14日(土)13時30分〜15時まで 「大阪市がつくった近代住宅」(京都大学大学院人間・環境学研究科教授 中嶋節子さん)
お問い合わせ先は、大阪市立住まい情報センター4階住情報プラザ Tel06-6242-1160