安治川口駅の事故

 JR桜島線に久しぶりに乗車した。大阪環状線西九条駅桜島駅行き電車に乗り換えた。ユニバーサルシティ駅へ向かうであろう五人組の男女は、ユニバの乗り物の話で盛り上がっていた。今日(5月15日)の目的地は安治川口駅。駅舎は橋上駅になっている。エスカレーターとエレベーターが設置されている。ホーム柵は未設置である。周辺には大企業の工場群が広がっている。JR貨物の貨物線も広がる。

 昭和15(1940)年1月19日の朝。その日は月曜日であった。大阪駅を発車した列車は軍需会社に通勤する客で満員だった。牽引力が弱いため、ガソリンカーの三重連で運転した。西成線はまだ電化していなかった。ガソリンカー(気動車)と蒸気機関車を使用していた。ガソリンカーの三両目が島屋町踏切を通過する時、ポイントが切り替わった。三両目は脱線して、横転した。そして、燃料のガソリンに火花が点いた。大爆発した。この事故があって、翌年に西成線が電化された。

f:id:higachanntan:20250515202257j:image安治川口駅ガソリンカー脱線転覆事故の慰霊碑
f:id:higachanntan:20250515202305j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250515202308j:image↑同上
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f:id:higachanntan:20250515202252j:image↑裏面に犠牲者名が残る

f:id:higachanntan:20250515221824j:image↑島屋踏切(踏切番のガードマンがいる)
f:id:higachanntan:20250515214438j:image安治川口駅周辺の地図

 

 安治川口駅の北側に新大阪郵便局がある。かつての汽車会社の跡だ。郵便局だから貯金の窓口で入金をすれば、局のスタンプを押してもらえると思った。集配達の郵便局であった。この郵便局には思い出がある。10年前に住んでいた地域の町会長の職場が新大阪郵便局だった。「激務で疲れる」と言っていた。府立城東工業高校を卒業して、郵政省に入局した彼。晩年に彼から出た言葉だった。それからすぐに亡くなり、奥さんも亡くなった。今も「ブラック郵便局」だろうか。

f:id:higachanntan:20250515215318j:image↑新大阪郵便局
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f:id:higachanntan:20250515215305j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250515215332j:image↑同上(階段の横の看板に注目)
f:id:higachanntan:20250515215252j:image↑同上(一段目のみにテープが貼ってある)
f:id:higachanntan:20250515215314j:image↑パチンコ屋
f:id:higachanntan:20250515215309j:image↑島屋交差点
f:id:higachanntan:20250515215323j:image↑同上
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 かつて今福から島屋橋まで大阪市電が走っていた。釣竿を持って、行ったことがある。京橋北口、梅田新道、浄正橋、玉川町、西九条、春日出車庫の停留所名が浮かぶ。

 市電軌道がないし、街並みが変わっていて、かつての此花区は変わっていて、異邦人になった感がする。

【参考文献】

『事故の鉄道史-疑問への挑戦-』(佐々木冨泰・網谷りょういち著、日本経済評論社、1993年1月)

『実記 百年の大阪』(読売新聞大阪本社社会部編、朋興社、昭和62年1月)