片町線の人身事故

 今里筋と交わる鴫野駅は、昭和39(1964)年11月に高架が完成し新駅舎に移転した。高架になって踏切がなくなった。元は地面を走っていた。その頃はまだ片町線には蒸気機関車が走っていた。

f:id:higachanntan:20250504235700j:image片町線鴫野駅付近(高架前)(『城東区史』より転載しました)
f:id:higachanntan:20250504235705j:image↑移転後の鴫野駅

 昭和26(1951)年ごろに土手を登った人が左脚を斜めに切断された。南へ線路の土手を渡ると、大阪市立城東小学校がある。

f:id:higachanntan:20250415004730j:image↑城東朝鮮会館(鴫野東2丁目)
f:id:higachanntan:20250415004733j:image↑右側が片町線おおさか東線、真ん中は保線道
f:id:higachanntan:20250415004721j:image片町線はかつて高架ではなく、城東小学校のすぐ横を走っていた

 

 Aさんが小学校3年生の頃のことだ。昭和26年頃だ。枕木の柵が立っていたはずだが、線路の土手には誰でも入れた。被害者は朝鮮の男性であった。

f:id:higachanntan:20250429220812j:image片町線の高架(1963年2月)
f:id:higachanntan:20250429220820j:image↑同上(1964年4月)

 城東朝鮮会館がなぜここにあるのか。しかも事故現場の近くにあるのか。何かつながりがあるのか。城東朝鮮会館には、朝鮮総連系の事務所が入っている。鉄筋コンクリートの建物である。

 事務所の方に機会があれば聞いてみよう。

【追伸】

 『鉄道人身事故データブック』(2010年以降)に載っている鴫野駅の人身事故を転記する。

2010/02/03(0時20分)  

2011/05/17(15時25分)  鴫野駅  女性

    /07/16(18時53分)  鴫野駅

              /12/06(05時54分)  鴫野駅〜京橋駅  50代/男性/死亡

2012/03/31(08時30分)  鴫野駅      女性/軽傷

    /04/10(05時12分)  鴫野駅〜京橋駅  男性/死亡

    /12/23(22時29分)  放出駅〜鴫野駅  男性/死亡

2014/05/12(09時15分)  鴫野駅〜京橋駅  40代/男性/死亡

2018/11/23(19時53分)  鴫野駅      40代/女性/死亡

2020/04/26(08時57分)  鴫野駅〜京橋駅  男性/死亡

2021/12/28(09時21分)  鴫野駅〜京橋駅  男性/死亡

2022/09/29(20時02分)  鴫野駅〜京橋駅  男性/死亡

2023/02/04(15時52分)  おおさか東線  JR野江駅〜鴫野駅  男性/死亡

2024/04/06(17時50分)  鴫野駅〜京橋駅

    /09/13(13時28分)  鴫野駅〜京橋駅  20代/男性/軽傷

    /10/12(18時22分)  鴫野駅〜京橋駅

    /12/24(05時01分)  鴫野駅〜京橋駅

2025/03/29(23時28分)  鴫野駅

    /04/09(22時45分)  鴫野駅

おおさか東線の人身事故は一例のみ。他は片町線で発生した人身事故である。

 鴫野駅の事故は片町線の3番ホームと4番ホームと思われる。4番ホームは、京橋駅行きホームである。急カーブでホーム柵が設置されていない場所である。  

 車両と電車の間隔が約20cmも開いている箇所もある。また電車が傾いているので、子どもが隙間に足を取られることもある。それはJR当局は事故にカウントしないかもしれない。

 車掌から先頭車両が見通せないので、テレビ画面で安全確認をする。運転士も体を乗り出して安全確認をしている。組合(国鉄労働組合)の調査と食い違うところがある。それは当局が事故にカウントしないからだ。

 危険な駅、それが鴫野駅なのだ。