京都市学校歴史博物館

 廃校になった旧京都市立開智小学校の校舎を活用した京都市学校歴史博物館(京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町437)を訪問するのが主目的だった。統廃合した学校の敷地を売り払う不動産業者まがいの某自治体がある中で、学校が所蔵してきた教育に関わる歴史資料・美術資料の収集・保存、企画展の開催、市民対象の講座の開催をしている博物館だ。

f:id:higachanntan:20250419131337j:image↑正門は明治34(1901)年に建築された高麗門
f:id:higachanntan:20250419131332j:image↑説明板
f:id:higachanntan:20250419131341j:image↑正門
f:id:higachanntan:20250419131328j:image京都市学校歴史博物館
f:id:higachanntan:20250419131319j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250419131347j:image↑玄関は、明治8(1875)年に建築された元成徳小学校の玄関車寄せを移築したもの。京都市最古で、国の登録有形文化財に指定されている
f:id:higachanntan:20250419131352j:image↑運動場
f:id:higachanntan:20250419131356j:image↑博物館周辺の町並み
f:id:higachanntan:20250419131323j:image↑同上

 その博物館の敷地内には、町内会事務所もある。また、災害時の避難所にもなる。京都市の町衆の知恵が詰まった施設だ。

 大阪市の学校でも、旧愛日小学校に「愛日文庫」があった。今は中央区の開平小学校にある。中央区ではマンション建設で人口が増えて、小学校の児童数が過大になっている。新たな教育問題が発生している。

 大阪市民にとっての宝が各学校に保存されていよう。「賢い地主は簡単に地面を売らない」と言った元大阪市会議員がいた。至言である。校舎や校地を残し、活用方法を検討して、将来に備えるのが市民の宝を守るのが行政の責任でないだろうか。

f:id:higachanntan:20250419132522j:image↑災害用トイレが複数ある
f:id:higachanntan:20250419132503j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250419132512j:image↑開智自治連合会事務所
f:id:higachanntan:20250419132508j:image↑防災倉庫
f:id:higachanntan:20250419132516j:image↑開智自治連合会事務所

 博物館内の展示物には撮影不可の美術工芸品があった。撮影した一部を掲載する。

f:id:higachanntan:20250419132953j:image楠木正成
f:id:higachanntan:20250419132923j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250419132933j:image↑再教育の手引き
f:id:higachanntan:20250419132944j:image↑教職適格確認書
f:id:higachanntan:20250419132939j:image↑実験学校の授業参観
f:id:higachanntan:20250419132948j:image↑健康祭の校庭ダンス
f:id:higachanntan:20250419132928j:image↑新制中学校の誕生(新聞記事)
f:id:higachanntan:20250419132917j:image↑新制高等学校の誕生(新聞記事)

 

   戦後すぐの教育実践では京都市も進んでいた。例えば、京都市立旭ヶ丘中学校が挙げられよう。

 敗戦直後から教育委員会制度が発足するまで、各学校現場ではさまざまな教育実践が花開いた。「実験学校」もその一つであろう。GHQの指示もあって、軍国主義教育を一掃して、民主教育の手探りの実践が始まった。大阪市の中大江小学校の「特別教室」もその流れに位置付けされないだろうか。

 

 四条通の南は、祇園祭の鉾町であろう。町屋の跡にはマンションが建つ。新住民は町会に加入する世帯が少ないらしい。祇園祭に参加するには町会加入が前提である。地域に縛られたくない新住民は、さらに町会から足が遠のく。山鉾巡行には学生のアルバイトに頼らざるを得ない。町会長が加入をお願いしても、断られるケースがあるようだ。鉾町にあった鉾やお神輿を神社に預ける所もあるらしい。