段蔵とは、大阪市史編纂所長の尾崎安啓氏によれば「災害避難蔵」といえよう。上段・中段・下段に分かれている。洪水の水量によって、下段から上段に避難する。上段にまで洪水が押し寄せれば、段蔵に結えていた田舟でさらに安全な場所に避難することになる。
「母屋よりやや高く、屋敷の北西隅に切石の石垣を5〜10段程度積み上げた上に建てられてい」る。段蔵という名称は「東から西にかけて石段を順次高くし、それが段状になっている」ところから来ている。一棟の土蔵も「広義では段蔵と呼ばれる」説もある。寝屋川市・門真市では段蔵、枚方方面では「軽物蔵(かるもんぐら)」「楽車蔵(だんじりぐら)」と呼ばれる。軽物蔵は「軽物」の転化と言われる。淀川右岸では、「乾蔵」(北西の方角から)と呼ばれていた。近世末から明治時代にかけての建築が多いが、大正時代以降の再建もあると言われる。(「きたかわちのツボ」第42回、北河内農業協同組合、2020年)
中津華奈摂南大学農学部准教授(「都市部における土地改良区の公益機能に関する研究」、2023年)で、段蔵は「敷地を盛土し、さらに嵩上げした台地に蔵を建てたもの」で「洪水や湿気を避けて、味噌、種などのほか、大切なものほど、上段に収納し、なかには避難場所として座敷を設置している農家や、1階部分には船を設置している農家」があったと記述している。
段蔵は、淀川下流域に広がっている。北河内、中河内、北摂(高槻市、茨木市、摂津市)区域である。北河内の枚方市北部(枚方市船橋本町)の段蔵を巡ってみた。二宮神社(旧村社)の周辺に古民家が残っている。かつては常習的な水害地域だったと思われる。
↑枚方市船橋本町の蔵
↑同上
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↑同上(高層マンション「くずはタワーシティコート」が見える)
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↑船橋自治会案内図
↑二宮神社(旧村社)
↑二の宮公園
船橋本町の段蔵を3月29日(土)に調査した。調査には今西正治氏にご協力をいただいた。ここで感謝申し上げます。