千日デパート火災事件は、ヒガチャンの22歳の時に起きた大事故だった。
↑千日デパートの全景(大阪市消防局から転載許可を得ました)
↑ビックカメラなんば店(旧:千日デパート、その前は歌舞伎座)
↑同上
↑同上
↑同上
↑ミナミ千日前商店会のアーケード(アーケードに7人が飛び降り、穴が開いていた)
↑同上
単独火災事故では今でも被害者数が日本最大である。男48名、女70名、合わせて118名が亡くなった。1972(昭和47)年5月13日22時27分ごろ出火。ビル内の「スーパー ニチイ」から発火して、館内に煙が広がった。消防車や救急車が千日デパート火災消火や救命救急で集まった。
消火後、被害者は病院に運ばれ、死者は斎場に運ばれた。死者を斎場で運ぶには棺(ひつぎ)が必要になる。(参考文献:『建築防火』千日デパート火災特集号、昭和47年11月5日号、日本科学防火協会刊)
館内には千日劇場があったが、1969年に既に閉館していた。桂米朝などが出演していた。1階で店を一家で営んでいた女性の話では「火災事故になる前に閉店していてよかったね」と被害者遺族に心を寄せつつ、家族で話し合ったという。
生野区のA材木店が大阪市消防局からの注文を引き受けていた。代表者は八幡谷伊兵衛さん。今は転業している。猪飼野探訪会の足代さんによると、平野川に材木店があったらしい。他に川音材木店やいくつかの店があったらしい。今は材木店はまったくない。川に浮いていた丸太に乗って遊んでは生野区猪飼野中2丁目54番地にあった。『大阪商工名録』(昭和43年版、大阪商工会議所刊)による。現在の住所では、生野区桃谷5丁目付近である。
↑御幸森神社
↑同上(神社の北の玉垣)
↑同上
↑コリアンタウンの雑踏
↑三宅製粉の玉垣
↑同上
↑木村家の玉垣
↑同上
A材木店の当時の得意先は、旧国鉄(日本国有鉄道、現在のJR)、日本航空だった。事故が起きると、被害者数が大規模になる企業ばかりであった。事故になると、大量の棺が必要になる。要望に応えられる材木店は業界ではA材木店しかなかったと聞く(中央区道仁連合のKさんからの聞き書き)。
↑平野川(東成区役所総務課の承認を得ています)
↑セブンイレブン(七福通り)
↑平野川(北から)
↑同上
↑猪飼野新橋
↑大阪コリアンタウン歴史資料館のチラシ(掲載許可を得ています)
「猪飼野今昔写真展」で平野川に浮かぶ丸太の写真に目が釘付けになった。平野川に材木店があったのを証明しているからだ。
猪飼野にある公立中学校に勤務していたヒガチャン。校区巡視をよくしたが、平野川に丸太が浮かぶ記憶がまったくないのだ。なぜなのだろう。