船場中学校

 船場にないのに、船場中学校とはなぜだろう。

 大阪市船場中学校はかつて谷町筋の西に校地を持っていた。旧東区では東中学校と並ぶ名門校だった。戦後、越境通学で生徒数が膨らんだ。京阪電車で通学する生徒も多かった。また、住民票を知人宅に移したケースも見られた。

 城東区に住むある医師の証言では「PTA会費が違っていた。東区在住者は5000円、その他は一万円だった」と。越境入学を認めていた学校側の対応であった。ただ、居住先を東区に移している保護者が多かったので、規約が有効だったのかは不明だ。

 大阪市船場に校地を求めたがなかった。廃校になっていた大阪市立中大江東小学校の校舎を使って、船場中学校は開校した。

その船場中学校も1998(平成10)年に廃校になり、大阪市立東中学校に統合された。校地は大阪市から転売され、今は超高層マンションになっている。

f:id:higachanntan:20250215214249j:image船場中学校の跡地に建つマンション
f:id:higachanntan:20250215214330j:image大阪市中大江東尋常小学校の碑
f:id:higachanntan:20250215214307j:image大阪市船場中学校の碑(谷山茂作詞、山中ニ朗作曲)
f:id:higachanntan:20250215214340j:image船場中学校跡のマンション北側
f:id:higachanntan:20250215214335j:image谷町筋が見える
f:id:higachanntan:20250215214245j:image↑突き当たりが旧大阪法務局舎
f:id:higachanntan:20250215214302j:image大村益次郎寓居跡の碑(徳井町)
f:id:higachanntan:20250215214316j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250215214325j:image谷町筋(谷町3丁目)の井原西鶴終焉の地
f:id:higachanntan:20250215214258j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250215214240j:image↑同上
f:id:higachanntan:20250215214312j:image↑同上(辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」)
f:id:higachanntan:20250215214254j:image↑同上

 

 芭蕉の「夏草や つはものどもが 夢の跡」である。しばし瞑目する。