今日は大晦日、大つごもり。おせち料理を受け取るため、地下鉄阿波座駅頭に立つ。江戸堀の方に歩くのだが、今日は南に歩く。
幕末の薩摩堀は大坂一暗い場所。『大君の都』(オールコック著、岩波文庫)に書かれている。広教寺に宿泊する。オールコックは初代駐日英国公使。東海道を歩いて江戸へ上る途中、外国人として初めて富士山にも登る。
今はなき大阪市立廣教国民学校の跡地には、大阪市阿波座センターが建っている。最寄りの駅は地下鉄阿波座駅だ。中央線と千日前線が交わる、管区駅長のいる大きな駅だ。
↑阿波座駅の近隣地図
↑大阪市阿波座センターはどこにある?
↑大阪市阿波座センターの全景
大阪市立廣教国民学校の跡地(現在は大阪市阿波座センター)には記念碑が西南隅に建っている。
↑廣教国民学校跡記念碑
廣教国民学校は、1945(昭和20)年3月14日の大阪大空襲で校舎が燃えてしまう。1957(昭和32)年に明治・靭・廣教小学校が統廃合され、明治小学校になった。
この廣教小学校は、淀川の「治水翁」で有名な大橋房太郎が代用教員として勤めていた学校なのだ。
大橋房太郎(1860〜1935)は、万延元年に大阪府東成郡榎本村(現在の大阪市鶴見区放出東)の庄屋の家に生まれる。少年時代、放出の正因寺の住職について学んでいた。その後、住職の紹介で天王田の善福寺の江村住職に学ぶようになる。1882(明治15)年に江村住職が校長を務める廣教小学校の代用教員をするようになる。
↑大阪市阿波座センター
↑センター内の大阪市立児童院
↑大阪市西スポーツセンター
↑大阪市阿波座センターの案内板
↑阪神高速道路阿波座ジャンクションが見える
廣教寺は大阪大空襲で全焼した。旧境内地は阿波座センターと薩摩堀公園辺りと思われる。
今は豊中市東豊中に移転している。詳しい沿革は廣教寺のHPに載っている。
江之子島にあるY字型道路の喫茶店が見える。ご期待に応えて、徹底的に撮影した(笑)。
↑喫茶店
↑同上
↑同上
江之子島の旧大阪府庁跡の向かいの「天満宮神幸上陸碑」の状態を見ようと寄ってみた。碑の変化はまったくなく突っ立っていた。
【参考文献】
『淀川の治水翁ー大橋房太郎伝ー』(小川清著、東方出版刊)
「大橋房太郎記念館」(ネットで検索)