快進撃を続ける浪曲界の快男児、真山隼人が中央区徳井町の山本能楽堂で「蘇る浪曲 真山隼人の会」を開いた。11月3日、大阪市敬老パスで谷町四丁目駅に降り立った。谷町筋から坂を下った。懐かしい山本能楽堂。高校一年生の時に芸術鑑賞で能を初めて観た。拍手をしないと説明を受け、そうなんだと独り合点した。狂言は面白かったら笑う。大槻能楽堂や大阪能楽会館(今はない)にも足を運んだ。
↑地下鉄中央線谷町四丁目駅にやっとホーム柵が付くか?
↑徳井町を下っていく
↑徳井町1丁目掲示板
山本能楽堂は1927(昭和二)年、山本家十代目・山本博之によって創設された木造三階建ての能楽堂。西側には熊野詣で有名な熊野街道が通っている。
1945(昭和二十)年3月13日に、夜の大阪大空襲で灰塵に帰した。1950(昭和二十五)年に再建された。支援者には松下幸之助、田村駒治郎、武智鉄二らが名を連ねた。2006(平成十八)年に国登録有形文化財に指定されている。
↑チラシ
↑山本能楽堂にすでに観客の列ができている
↑山本能楽堂の能舞台
↑同上(浪曲二題の後、小佐田定雄さんとの反省会も行われた)
↑同上
↑支援者名簿
↑山本能楽堂の能舞台
↑同上
↑真山隼人さんと沢村さくらさん(ブログ掲載許可を得ています)
【参考文献】