まち歩きをしていて、なぜここに「大阪市電気局」のフタがあるのかといまだに疑問に感じることがある。鴫野東2丁目の城見通から今里筋に抜ける道の途中にある。
かつて今里筋にトロリーバスが走っていた。昭和32(1957)年守口車庫から今里まで開通し、昭和36(1961)年、大池橋〜田島町四丁目、昭和37(1962)年田島町四丁目〜杭全町まで開通した。昭和45(1970)年6月15日に最後まで残っていた守口車庫〜杭全町間が廃止された。13年間のトロリーバスの命であった。モータリゼーションの大波に呑まれたのである。
↑トロバス東と書いてある
トロバス沿線の歩道にあるなら頷けるのだが。少し離れた場所になぜあるのかが解せない。
関西電力送配電株式会社野江変電所に問い合わせた。1923(大正)年10月1日に大阪市が大阪電灯を買収し、電気事業を市営化。大阪市電気局(のちの大阪市交通局)が設立される。 大阪市の電気事業は戦前、大阪市電気局が売電していた。
1939(昭和14)年4月1日、日本発送電株式会社が設立される。電力会社や大阪市電気局などの公営電気事業の統廃合がされる。1942(昭和17)年に関西配電が設立される。
敗戦後の1951(昭和26)年5月1日に関西配電と日本発送電株式会社を廃止し、関西電力が発足した。日本発送電株式会社は九電力に分割される。近畿地方では関西電力になる。主要株主は大阪市が全体の7.65%を保有している。神戸市も3.06%を保有している。
↑杭全行き市バス城東区役所前停留所
野江変電所の職員によれば、大阪市電気局の時のフタであり、現在は使用されていないとの見解であった。変遷の歴史の中で取り残されたフタが鴫野東2丁目のフタなのだ。
【参考文献】
『大阪市電が走った街 今昔』(辰巳博著、JTB)