迷走台風で振り回されて今週。「真山隼人の浪曲研究会」はするのかしないのか。午前9時に開催が決定された。高津神社に向けて、足どりも軽かった。
↑高津神社の鳥居
↑同上
↑同上
↑高津宮とこしえ秋祭りのポスター
↑参道
↑玉垣に片岡仁左衛門丈の名が
↑命の木
↑結婚式場が会場
↑今日のチラシ
↑高津神社の舞台
舞台が始まるまで、式場内を拝見した。
↑菅楯彦の絵
↑石版画(橋爪節也大阪大学教授の寄贈)
↑明治十年代の高津社の写真
↑電電公社時代のものか、なつかしい
アットホームな感じの浪曲寄席、みんな親戚みたいな浪曲寄席だ。
150年つづく伝承の演芸から人間国宝が生まれたのだ。庶民の伝統芸能であることを忘れてほしくない。
真山隼人さんの「人間国宝」になる道は興味深かった。一部引用する。あくまで文責はヒガチャンにある。
①弟子を育てる。二人以上の弟子を持つ。師匠よりイケメンでないこと。
②有識者とのつながりを持つ。
③ネタの継承。他の師匠のネタにも挑む。新作も基礎が大切。
浪曲界の次の「人間国宝」を目指す人は、真山隼人さんの三条件を脳内に入れて、どんどん挑んでほしい。
ちなみに真山隼人さんは、台本を320冊収集しているそうだ。切磋琢磨して、浪曲界を活性化してほしい。
真山隼人さんの着ている衣装は、真山誠太郎(師匠)の形見分けだそうだ。
初代真山一郎が1973年に発表した「浪曲音頭 日本列島民謡の旅」は、高度成長時代のムード満杯だ。「河内音頭」という言葉が使えなかった時代に「浪曲音頭」のレコードを出した初代真山一郎師匠の器の大きさを知る。北から南までの民謡を河内音頭でつなぐメドレーで楽しませてくれた。手を打ち、足で調子を取りたくなった。ソーラン節、大漁節、八木節、佐渡おけさ、ちゃっきり節、尾鷲節、よさこい節、黒田節で日本を南下し、安里屋ゆんたで沖縄の本土復帰を祝って終わる。
意欲作を熱演する真山隼人の人気のいや増すことを願う。
↑真山隼人さん(右)と曲師沢村さくらさん(左)
↑次回の研究会の案内チラシ