城東区古市の病院に行った。関西スーパー古市店がある。業務スーパーも向かいにある。ほっかほっか亭も最近できた。3時間も診察にかかった。おかげで睡眠の時間が取れた。白河夜舟を漕いだので、隣の患者さんはいつこちらへ倒れてこないかとヒヤヒヤものではなかったか。
この辺に城東区出身の有名な小説家、川上未映子(1976年8月29日生)の家があると聞いた。誘惑に駆られて、ヒガチャンの悪い癖がムクムクと湧き上がった。そして、大阪大国技館跡も城北運河沿いにある。そちらから探検の始まりだ。
↑50年前は木造の長屋が並んでいた
↑大阪市営住宅
↑立札
↑菫会館
↑城北運河沿いの遊歩道にあった滝
↑同上
うろうろして、やっと大阪国技館跡の説明板。こら、見逃すわ。
↑大阪大国技館跡と元相撲茶屋(古市二丁目)の説明板
↑城北運河(今は城北川)の遊歩道
↑同上
↑大阪大国技館跡(リビエール関目が跡地)
↑相撲茶屋があったあたり
↑すっかり変わってしまった町並み
↑相撲茶屋
↑大阪産大付属高校
↑ここも低い
『黄色い家』をさがし求める。古市三丁目の辺りをうろうろする。
川上未映子の学歴は、Wikipediaから引用する。大阪市立すみれ小学校→大阪市立菫中学校→大阪市立工芸高校デザイン学科に進学した。高卒後、彼女は京橋モールにあった駸々堂書店京橋店(その後、紀伊國屋書店京橋店)で店員をしていた。後日、紀伊國屋書店京橋店でサイン会を行っている。すみれ小学校も菫中学校も校区内だ。実家らしき家は偶然にも「黄色い家」だった。
↑酒店
↑同上
川上家の家族については、朝日新聞デジタルで「作家・川上未映子のおかあちゃん利江さん」に書かれている(2008年4月8日付)。母は利江(当時54歳)・父(当時61歳、その後死亡)。長女が佐知子(当時33歳)。次女が未映子(当時33歳)。長男が利明(当時30歳)。頭はいいが、変わった子どもの未映子を型にはめることをしなかった。長男はラグビー選手。長女もインストラクターで成功。残る未映子の成功が待たれて、芥川賞を受賞した。
『黄色い家』は未見なので、あらすじも何も知らない。題名と作者との関連は知らない。店内で聴いてもいいのだが、ご家族にとって迷惑かもわからないので、聞き取りはしていない。