昭和44(1969)年4月に同志社大学文学部文化学科国文学専攻に入学した。
1回生はなんとか講義があった。2回生になると、近鉄と大学の産学共同の田辺キャンパス移転反対闘争が燃えさかる。セクト(中核派、革マル派、社青同、社学同、赤軍派)が覇を競って、キャンパスが騒がしくなる。ついに全学バリケードストライキに発展した。正門には机や椅子が積み上げられて、入校できなくなっている。講義もできないし、試験を実施することもできなくなる。教授のご自宅までレポートを提出することで単位をいただけるようになる。
3回生も講義ができない状態が続く。麻雀屋やパチンコ店に屯することになる。映画もよく観た。京都市内を歩いて、地理に詳しくなった。アルバイトは、世論調査(毎日新聞)の調査員をした。二日間。一日目は。担当区域を回って対面で選挙のアンケートをした。留守の場合は預けて、翌日に回収する。二日目は回収したアンケートを提出する。毎日新聞京都支局は三条通りにあった。集計室に学生アルバイトが集まって集計するのだ。晩ごはんはうな重と吸い物。プラス2万円がいただけた。その日その日をおもしろおかしく過ごしていた。
四回生になると、学園紛争も下火になってくる。卒業、就職、卒業論文がチラついてくる。4年で卒業しなくてはと焦ってくる。外出もせず、窓を閉め切って、卒業論文の期日に間に合わせた。
↑田辺三菱製薬史料館(本文と関係ありません)
↑京都国立博物館(本文と関係ありません)
今から振り返ると、いろいろな先生方のおかげで今の自分ができていると思う。私という人格ができるのに、先生方の講義から考える習慣をつけていただいた学恩がある。
思い返すと、たくさんの先生方のお名前が浮かぶ。
○幸 日出男(神学部) 寝屋川市成田南町
○小森啓助(文学部) 京都市北区大将軍西町
↑鉄道の日(上本町駅)
↑近鉄バス(なつかしのビスタカー)
↑同上
↑同上
どの教授かは忘れたが、単位認定をしていただくため風呂敷に清酒を包んでご自宅に持っていったことがある。清酒を持ち帰った記憶がないので、先生の胃袋にしっかり入ったと想像する。その頃の教授と学生との交流の一端をわかっていただきたい。
こんな学生でも卒業させて、社会人に送り出していただいたのだから、先生方の度量の深さに頭が下がります。ありがとうございます。
【参考文献】
『京都大学卒業者名簿』(昭和52年)を閲覧。